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2つの助言から始まったサクセスストーリー

7/14(土) 16:45配信

東スポWeb

元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【リッチ・ヒル投手(ドジャース)】「失敗を恐れちゃいけない。挫折を受け止めて失敗を楽しんで、人が自分を評価することから逃げない。完璧な試合をやったって意見を言ってくる人はいるから、その声を聞き入れた上で本当に意味があるのは自分の意見だけなんだって理解すること。毎回自分の全力を出し切ったのなら、それを批評することは誰にもできない。結果から自分を切り離し、モーメント(その瞬間)に存在し楽しむことができたなら、それが人生の成功なんだと思う」

 2014年2月に生後2か月で次男ブルックス君を難病で亡くしたリッチ・ヒル。レッドソックスからエンゼルス、ヤンキースへとチームを渡り歩き、15年はナショナルズとマイナー契約を結ぶが、6月下旬には自ら契約を放棄して無職になった。この時、35歳。

 だが紆余曲折を経て、16年シーズン途中からドジャースへ。オフには3年4800万ドルの大型契約を結ぶ。

「エモーショナルで、それまでの努力とかいろんなものが込み上げてきた瞬間で、自分たちの幸運をとても感謝したよ」

 リッチは、自分の話をする時に妻のケイトリンさんと息子ブライス君を含めてよく「We(僕ら)」と表現する。

「15年、僕らは当時所属していたチーム(ナショナルズ)を出る決断をした。その時は行き先がなかったけど、現状よりはいい機会がやってくるはずだと信じて。前年に購入したマサチューセッツ州の自宅に戻り、家のリフォームなどをして過ごしていたある日、軒先から通り向かいのリトルリーグのグラウンドを眺めていたら『うそだろ、マイクじゃないか?』って。当時レッドソックスのGMだったマイク・ヘイゼン(現ダイヤモンドバックスGM)がご子息の野球の試合を見に来ていたんだ」

 ヘイゼン氏はリッチの話を聞き、スカウト責任者だったジャレッド・ポーター(現ダイヤモンドバックスGM補佐)を彼のところに送り、高校のグラウンドで投球テストを行った。ポーター氏は投球内容に満足したが、当時チームに空きがなかったため契約に至らず。代わりに重要なアドバイスを2つ残した。

「マウンドの立ち位置を左から右へ戻してはどうか(リッチは先発時代は三塁側寄りで投げていた)」

「独立リーグで投げてみたらどうか」

 数日後、リッチはロングアイランド・ダックスという独立チームへと向かった。「もう一度先発として投げてみよう。失うものは何一つない」という思いを胸に。ここからサクセスストーリーを歩むことになる。

 彼のタフさと情熱の深さを語り足りないが、最後はこの言葉で――。

「家族として人生は何なのか、一瞬にしてなくなってしまうものなんだって経験したことが転機だった。(亡くなった)息子を例えにしたくはないのだけれど、彼の人生が、人生のあらゆる機会を楽しむことを僕らに教えてくれたと思う。僕自身も人生の楽しみ方を理解するまで時間と忍耐とかなりの頑固さが必要だったけど、どうか皆がその方法を家族や友人との時間を本当に楽しむ方法を知ってほしいと思う」

 ☆リッチ・ヒル 1980年3月11日生まれ。38歳。マサチューセッツ州ボストン生まれ。195センチ、99キロ。左投げ左打ち。2002年のドラフトで指名されたカブスに入団。05年6月にメジャーデビューし、07年は11勝をマーク。オリオールズ、レッドソックスへ移籍し、11年にトミー・ジョン手術を受ける。マイナー契約を結んでいたナショナルズを15年に退団するが、その後は独立リーグを経て同年8月にレッドソックスと再契約。29イニングで36三振を奪って話題を集める。16年はアスレチックスで開幕投手を務め、シーズン途中からドジャースへ。17年には2年連続2桁勝利となる12勝を飾った。

最終更新:7/14(土) 18:55
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