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「公立校で甲子園に」 私学の教員辞め、岐阜に来た監督

7/14(土) 14:00配信

朝日新聞デジタル

 岐阜県の加茂高野球部監督の土井誉仁(たかひと)(47)は、異色の経歴を持つ。地元神奈川県の私立高校で約20年、教員をしながら高校野球の監督を務めた後、43歳で岐阜県の教員採用試験を受け、採用された。仕事や家庭の都合ではない。甲子園が理由だ。

 高校野球が大好きだ。原点は子どもの頃の記憶。1980年代、全国の公立高校が強豪私立を倒して勝ち進む姿をテレビの前で応援していた。

 「やまびこ打線」が人気を集めた池田(徳島)。桑田、清原のPL学園(大阪)を倒して優勝した取手二(茨城)。周囲の大人たちが学校名ではなく「徳島」「茨城」と呼んだふるさとの代表にあこがれた。 「いつか自分も」。地元の県立高校に進み、甲子園を目指したが、私立の名門校がひしめく激戦区であこがれの地は遠かった。

 選手でダメなら、監督で。学生監督として母校を指導した後、私立高校の監督になった。本当は公立の監督になりたかったが、就職時、教員採用試験がなかった。20年率いたが、甲子園には出場できなかった。

 結果を出せない負け惜しみかもしれない。でも、何かが違うと感じていた。自分が憧れた高校野球を実践したい。そう思い、岐阜県の教員採用試験を受けた。

 なぜ、岐阜か。縁もゆかりもない。理由は一つ。「まだ公立高校が甲子園を目指せる土地だと思った」

 県岐阜商、岐阜城北、関商工……私学全盛と言われる高校野球界で公立高校が甲子園への切符をつかんでいる土地で、地元出身の球児が力を合わせて甲子園を目指す「ふるさと高校野球」をやりたかった。

 資金力や練習時間など環境に差がある中でどうすれば、甲子園に行けるのか。岐阜での挑戦が始まった。

 「おまえらすごいね」。岐阜に来て、ほめることが増えた。私学時代は、集まった選手の中から優秀な選手を選ぶことを考えた。今は、選手の持つ素の力に注目する。「それぞれの能力を生かして育てたい」

 遠征先では選手と一緒に風呂に入る。朝練では、アイドルやJポップの曲を流す。高校生の目線に合わせて、常に近い距離にいることを意識する。

 発想も変えた。甲子園出場からさかのぼって、必要と考えた練習をする。試合でミスをしたら、何がいけなかったのか。それを防ぐにはなにが必要だったのか選手と考え、実践する。決まった練習メニューは存在しない。言わば「勝つことから逆算した練習」。技術練習に特化し、走り込みや筋トレはやらなくなった。

 前の学校で8台あったバッティングマシン。加茂高校に赴任当初はゼロだった。それでも「今の方が恵まれている」と話す。地元の期待を感じるからだ。

 練習試合には「加茂高校がんばって」と地元の人たちが駆けつけてくれる。OB会の協力でバッティングマシンも3台そろった。

 赴任前は夏の大会で初戦敗退も目立ったが、昨夏の岐阜大会はベスト16。着実に実力をつけてきた。

 設備が充実しているわけでもない、特待生もいない、普通の公立高校の自分たちだからこそ、「夢のある高校野球」を実現できると思っている。「ふるさと高校野球」の原風景を胸に、夏に挑む。=敬称略(松沢拓樹)

朝日新聞社