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加藤千洋の天安門クロニクル(4) 「あなたは改革者」(下)学生リーダーの回顧

7/22(日) 11:45配信

J-CASTニュース

 学生リーダーの一人、北京大学生の王丹は1988年に仮釈放後、米国に亡命した。渡米後はハーバード大学で歴史学を学び、博士号を取得。その後台湾へ渡り、政治大学、国立清華大学などで研究と学生指導に当たった。いまは再び米国在住だと聞く。

■胡耀邦追悼からデモ行進に

 台湾・清華大学時代の講義録『中華人民共和国史十五講』は日本でも翻訳出版された(2014年、ちくま学芸文庫、加藤敬事訳)。この本で王丹は胡耀邦が急死した4月15日以降の「八九民運」の発展経過を日ごとに書きとめている。例えば次のような記述がある――。

 【4月15日】中共中央政治局委員、前中共中央総書記の胡耀邦は、広範囲に及ぶ急性心筋梗塞の突然の発作のために、午前7時53分、北京医院で亡くなった。午後1時30分から北京大学などに哀悼の意を表する大小の壁新聞が出現した。そのなかに、「耀邦すでに死し、左派ふたたび栄える。国人に覚醒を促す、抗争を忘れるなかれ」と書かれたものがあった。また、こう詠じた対聯もあった。

  「小平、八四にして健在。耀邦、七三にして先に死す。
  政壇の浮沈を問うに、何ぞ命を保つこと無からん。
  民主は七〇にして未だ全からず。中華は四〇にして興らず。
  天下の興亡を看るに、北大もまた哀れ」

  ここで「七〇」というのは、1919年に起きた五四運動から1989年は70周年、「四〇」は1949年の建国以来40年という意味だ。

 一日おいて4月17日、つまり私が広場の様子を見に行った日だ。王丹によると、広場での追悼行動の先陣を切ったのは中国政法大学の600人余りの大学院生と青年教師らだった。

  「手製の花輪を担ぎ、葬送曲を流しながら天安門広場までデモ行進した。その後、六〇人ほどが胡耀邦の家を弔問した」(同書497頁)

 王丹ら北京大学の学生はどうだったのか。

  「(王丹が)校内で530元ほどのカンパを集めて花輪を求め、四〇余人を組織して天安門広場に送り込む一方、胡耀邦の家に赴いて哀悼の意を表した」(同)

 翌18日未明から北京大学、北京師範大学、北京航空大学、中国政法大学、清華大学などの大学生6000人がキャンパスから広場までデモ行進し、動きはじわじわと拡大していった。

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最終更新:7/22(日) 11:45
J-CASTニュース