ここから本文です

hideが邦楽と洋楽との壁を超越して世界進出を企図したzilchの『3・2・1』

7/27(金) 18:02配信

OKMusic

おもちゃ箱をひっくり返したような音楽性を持ち、X JAPANのギタリストとして、ソロアーティストとして、多種多様に活躍したhideの世界戦略バンドだったとも言われるzilch。その1stアルバム『3・2・1』が発表されたのが1998年7月23日、ちょうど20年前のことだ。本稿では改めて彼の偉業を振り返ると同時に、zilchで彼が何を画策しようとしていたのかを推考してみた。

ソロとバンド、複数のバンドを両立

彼のプロフィールを眺めて、hideというアーティストはホントいろんな壁を壊した人なんだなと思う。バンドとソロとの間にある垣根。ジャンルと言われるもの。hideはこれらを確実に壊したと言っていい。本題に入る前に少しそこに触れたいと思う。

バンドを行ないながらのソロ活動、あるいはひとつのバンドをやりながら、また別のバンドで活動をすることは、今となってはことさら珍しいものではないが、以前はソロ活動にしても別のバンドをやるにしても、本隊のバンドが解散するか、解散しないまでもその活動が所謂煮詰まった状態から活路を見出すものとして行なわれることが通例であった。hideのソロ活動にしても、前メンバーのTAIJI(Ba)が脱退してX(現:X JAPAN)が一時活動休止していた1992年に計画されたものではないかと推測されるものの、初のソロシングル「EYES LOVE YOU」「50%&50%」を発表した1993年はHEATH(Ba)が加入してX JAPANに改名したあとであるし、X JAPANは同年11月にシングル「Tears」を発表し、年末には東京ドーム2デイズ公演を行なっている。ソロアルバム『HIDE YOUR FACE』のリリースは1994年2月であるから、本隊の活動とソロの活動とはほぼ並行していた。しかも、hideは新メンバー、HEATHの加入にかなり尽力したとも言われており、本隊をおざなりにしていた様子もない。

hide with Spread Beaver名義になった1998年はX JAPANが解散したあとだが、これはTOSHI(Vo)の脱退が発表されて自らが籍を置くバンドがなくなることを懸念して名義を換えたと言われており、解散発表の時点でソロツアーはすでに決まっていて、1997年のX JAPANはほとんど動いていなかったとはいえ、両バンドは同時進行であったとは言える。hide以前では、忌野清志郎がRCサクセションの他にHISやTHE TIMERSを行なっていたり(厳密に言えばTHE TIMERSに清志郎は参加していないが)、桑田佳祐がKUWATA BANDをやったりしているが、いずれも本隊が動けない時期での別動隊であり、それまで少なくともメジャーどころでバンドを掛け持ちするケースはほぼなかった(KUWATA BANDは原由子の産休でサザンオールスターズが活動休止中の限定バンドである)。

1/6ページ

最終更新:7/27(金) 18:02
OKMusic

Yahoo!ニュース特設ページ