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その転身は周囲を驚かせた、しかし... 松下康雄・元日銀総裁が死去、92歳

8/5(日) 12:00配信

J-CASTニュース

 2018年7月20日に92歳で死去した松下康雄(まつした・やすお)氏は、第27代日銀総裁として、1990年代後半の金融危機対応や日銀法改正に尽力した。日銀総裁と大蔵(現財務)事務次官の両方を務めたエリート中のエリート。しかし部下の不祥事を受け総裁を任期途中で辞任した後は、公の場で発言することはほとんどなく、静かに逝った。老衰だったという。

 神戸市出身。1950年に東京大法学部卒業後、大蔵省に入省。順調に出世街道を歩み、主計局長を経て82年に事務次官に就任。退任後は政府系金融機関に天下らず、出身地の旧太陽神戸銀行に転じて87年頭取に就任した。都銀の一角とはいえ、関西ローカルの趣の強い銀行だけに、最強官庁トップの天下り先としては「役不足」の感があり、その転身は周囲を驚かせた。

■旧三井銀行との合併を実現

 だが、松下氏には運があったようだ。1990年に旧三井銀行との合併を実現させたのだ。その後の金融再編の先鞭をつけた形で、合併後の旧太陽神戸三井銀行(後のさくら銀行、現在は三井住友銀行)の会長を務めた。

 これだけでも結構な功績だが、それで終わらないのだから、松下氏は強運だった。日銀総裁ポストが回ってくるのだ。

 当時の日銀総裁は、日銀プロパーと旧大蔵事務次官が交代で就く「たすき掛け人事」が慣例だった。1994年、日銀プロパーだった三重野康氏の後継の選任の中で、当時の大蔵次官経験者では吉野良彦氏が実力者とされ、当の斎藤次郎次官らは吉野氏を推したが、吉野氏が固辞した結果、松下氏にお鉢が回り、同年12月に総裁に就任した。民間銀行トップを務めたキャリアも、大きな材料になったとされる。

 ちなみに、松下氏以降、大蔵・財務次官経験者で日銀総裁に就いた人はいない。「大物次官」といわれた武藤敏郎氏は副総裁止まり。現総裁の黒田東彦氏は財務省出身だが、次官ではなく財務官だった。

 総裁就任後の松下氏は、バブル経済崩壊後の景気低迷や金融危機への対応に追われた。1995年には公定歩合を当時としては前例のない0.5%に引き下げ、「庶民の金利収入が減る」と批判を招いた。木津信用組合、住宅金融専門会社(住専)などの破たん処理にもあたったほか、97年の山一証券の破たんの際には、信用秩序維持のため、無担保無制限の特別融資(日銀特融)を発動。金融危機回避に奔走した。

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最終更新:8/5(日) 12:00
J-CASTニュース