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最終聖火ランナー・坂井義則氏「次の世代、子供たちに何が残せるか」

8/7(火) 13:12配信

スポーツ報知

 国立競技場を埋め尽くした7万2000人の観衆の目は、美しいフォームでトラックを走る19歳の早大生に注がれていた。1964年10月10日、東京五輪開会式。最終聖火ランナーは坂井義則だった。182段の階段を上り、右手で聖火台に着火した。「そこは特等席でした」。カラフルな選手団のユニホーム、まだ高層ビルなどない東京の街が眼下に広がった。

 45年8月6日、広島に原爆が投下された約1時間半後、広島県三次市に生まれた。敗戦からの復興を訴えるには適役で、海外メディアは「アトミック・ボーイ」と呼んだが「戦争は僕には何の関係もありません。過去のイメージより、今の、いや、きょうの僕の姿を見てください」と外国人記者に答えた。

 坂井は早大競走部に所属も東京五輪出場はかなわず。「中村清監督は、マラソンランナーにしようとしたのですが…」と大学からフジテレビまで同期だった元アナウンサー・松倉悦郎(72)。次男の厚弘(44)は同じマスコミ業界に進み、TBSのプロデューサーとして2014年5月、旧国立競技場のエンディング特番を担当。準備のため、聖火台の横に立った。「ああ、ここにおやじが立ったんだなあと思った。本当に素晴らしい眺めでした」

 坂井は14年9月10日、69歳の若さで亡くなった。2度目の東京五輪開会式を2人の孫と見ることを楽しみにしていたが、かなわなかった。だが、聖火をともしたトーチは生前から講演などに持ち歩き、今月10日からは三次市で展示されるなど、今後も多くの人の目に触れることになる。

 20年大会に関わることにもなる厚弘は「おやじはどんどん商業的になる五輪を嫌がっていた。私はアフター2020が大事だと思います。次の世代、子供たちに何が残せるかが重要だと思う」と力を込めた。(久浦 真一)=敬称略=

 ◆坂井 義則(さかい・よしのり)1945年8月6日、広島県三次市出身。中学から陸上を始め、三次高3年次に国体400メートルで優勝。66年バンコク・アジア大会400メートルで銀、1600メートルリレーで金メダルを獲得。68年、フジテレビに入社し、五輪報道などに携わる。14年9月10日死去。

最終更新:8/15(水) 11:31
スポーツ報知