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【岡山から伝えたい】「もっと救えた命があったかも」 100人救助もよぎる悔しさ 真備

8/7(火) 14:02配信

山陽新聞デジタル

 200人以上の死者が出る「平成最悪」の水害となった西日本豪雨。被災地の地元メディアである山陽新聞社が、救助活動の実相を伝える。4河川8カ所の堤防が決壊し、甚大な浸水被害を受けた倉敷市真備町地区。被災した住民たちへの取材で、未曽有の災害の実態に迫る数々の証言を得た。西日本豪雨により河川の堤防が相次ぎ決壊したことで、倉敷市真備町地区は7月6日から一晩のうちに広範囲で濁流にのみ込まれた。辛うじて民家の屋根や2階、電柱の一部が水上に姿をとどめるだけになった。

 翌7日の午前5時。玉島消防署の救助隊長、伊藤周平さん(41)は同町下二万の二万橋から同僚とゴムボートで小田川の北エリアにこぎ出し、白み始めた周囲の光景に息をのんだ。

 屋根の上に人、人、人…。泥だらけの男性に高齢夫婦、幼児と寄り添う母親。手やタオルを振って助けを求めている。雨は小康状態だったが、体を小刻みに震わせ低体温症とみられる人も少なくない。

 「俺らは後でええ。年寄りと子どもが先じゃ」。会社員松田聡一さん(48)=同町箭田=が叫んだ。小田川北岸の決壊で高さ3メートルまで自宅が漬かった7日未明から屋根の上に逃れ、隣近所と「諦めんな」「絶対助かる」と励まし合っていたという。

 救助活動は、濁流に浮かぶ木片やタイヤ、水面下に隠れた電線などを避けながら困難を極めた。見渡せる範囲だけでも数十人が助けを待ち「時間も人手も圧倒的に足りなかった」と伊藤隊長。6日夜から絶え間なく寄せられる救助要請に対応し、夜明けからはボートで駆けずり回った後、職場に戻ったのは7日の夜だった。

自発的に

 浸水域は末政川東岸(同町有井)の決壊で7日昼までに川辺、岡田、辻田と同町東部エリアにまで広がった。消防は二万橋、自衛隊と警察は川辺橋に現地本部を設置。孤立した病院や老人ホームからのヘリコプターによる救出も加わった。ポンプ車20台以上による排水で水が引き始めた9日朝までに同町の浸水域から助け出したのは約2350人に上った。

 しかし、取り残された住民は他にも多数いた。その人たちを救ったのは水上バイクや川舟で自発的に動いた一般市民だった。

 建設業内藤翔一さん(29)=総社市真壁=は、同じ真備町地区出身で友人の上森圭祐さん(25)=岡山市北区今=に母親を助けるよう頼まれて7日昼、水上バイクで同町岡田、辻田に向かった。最も遅れて浸水した両地区にはまだ、救助の手が及んでいなかった。

 「すぐに行く」。数メートルおきに助けを求める声が聞こえ、安心させるため一人一人に声を掛けた。上森さんも釣り用のボートで駆け付け、手分けして8日未明まで約15時間にわたり活動。安全な所に移動させた住民は2人で200人を超えていたという。

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