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津川雅彦さん、たかじんさん亡き後も約束果たし通す

8/8(水) 1:54配信

日刊スポーツ

 今月4日に78歳で亡くなっていたことが分かった俳優津川雅彦さんは、14年1月に亡くなったやしきたかじんさんを「豪快に言いたいこと言って、あそこまでになれない。あこがれの人」と語り、たかじんさんとの約束を守り、最後まで筋を通した人だった。

【写真】津川雅彦と結婚した朝丘雪路さん(1973年5月撮影)

 たかじんさんは生前、読売テレビで「たかじんのそこまで言って委員会」を進行しており、12年1月に食道がん治療のため休養。折しも、論客だった故三宅久之さんが体調不良で降板しており、その後任として、たかじんさんの“指名”を受ける形で、12年7月から三宅さんの後任レギュラーとして参入した。

 たかじんさんはいったん復帰したものの、14年1月に亡くなった。津川さんはその後も、原則として隔週収録の同番組へ、大阪まで通っていた。たかじんさん亡き後も、約束を果たし通すためだった。

 ところが、15年4月から、番組名が「そこまで言って委員会NP」に変更されることが決まると、同年3月29日の放送を最後に急きょ、降板を申し入れ。番組タイトルから「たかじん」の名前が消えることになり、自身のブログに「(番組名から)『たかじん』の冠が外されることにもなりました。これで、僕とたかじんさんとの仁義は全く無くなってしまいます。なので、これを機会に僕も降板を申し込みました」と説明していた。

 当時、制作の読売テレビも、降板の事実を「津川さんの申し入れを受けた」と認めており、双方納得の上での“円満降板”だった。

 津川さんは、一方で、たかじんさんとともに番組を守ってきた辛坊治郎氏や、レギュラーの桂ざこばら共演者にも「思えば実に楽しい番組でした」とメッセージを送って感謝。

 その上で「どうかこの類まれな、すごい個性を積み上げた番組の持ち味を損なうことなく」番組を継続してほしいとエールも送っており、レギュラー降板後も、盟友が始めた番組への愛着から、ゲスト出演をしたことも複数回あった。

最終更新:8/8(水) 8:36
日刊スポーツ