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「ユニフォームを脱ぐ覚悟はできたが引退とは言わない」元巨人・村田修一の男の引き際とは

8/9(木) 16:10配信

テレビ東京スポーツ

テレビ東京

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない。男の生き様は引き際にこそ表れる。7月31日。野球をやめる覚悟をした日、村田修一は家族といた。

野球も人生も、逆転ホームランなどそうは打てない。しかし、あきらめずにそこに賭ける姿を、村田は家族に見せ続けた。NPBからの誘いはついに来なかった。だがそれも運命。村田も家族も、運命の日に見た花火を生涯忘れないだろう。

去年10月、村田はまだ運命を知らなかった。FA権を取得した村田は次のシーズンについて、たとえ出番が減ることになっても巨人に残りたいと口にする。

だがその翌日、突きつけられた戦力外通告。密着4年、プロの浮き沈みを村田は隠さなかった。2000本安打目前。非情の仕打ちで流れ着いた栃木。スポットライトの届かない独立リーグでも持つ信念は揺るがなかった。

スターの没落。意地悪に見たらそうかもしれない。しかし、まばらな観衆の前でも全力プレーを怠らない、その格好よさが村田にはあった。花火のように散ってしまうのはあまりにも寂しい。

「ユニフォームを脱ぐ覚悟はできたが引退とは言わない。」村田は会見でそう述べた。もがき続けたたこの半年の、それが結論だった。引退という呼び方を避けたのは球界への問題意識があったからだった。

歩みを4月から振り返る。

両親が見つめる中、独立リーグの一員として村田は開幕を迎えた。三人の子供たちも駆けつけた。

ユニフォーム姿の父を無邪気に応援する三男のえいごくん。中学生になった長男、じゅんやくんは父の決断の重みを知っている。引退に傾いた心を引き戻した家族の意見。独立リーグでプレーしながらNPBのオファーを待つ。保障のない選択はそうしてなされた。

そして5月、古巣巨人との対戦は村田にとって最悪のタイミングで訪れた。開幕後まもなく傷めた太腿。

練習もできない状態だった。しかし終盤、無理をして打席へ。代打逆転ホームラン。これが独立リーグでの第一号だった。

男、村田。若手はこぞって彼を慕うようになっていた。チームに溶け込むのと同時に成績も上がる。役者の違いを見せ付け6月の月間MVPに輝いた。

同じ頃、NPBの補強が活発になる。阪神は打線のテコ入れに新外国人を獲得。オリックスはDeNAとのトレードで内野手を獲る。どちらも村田獲得の可能性が囁かれた球団だった。

7月も残りあと10日。ここから期限当日までの日々はドラマのような様相を呈していく。打率もホームランもチームトップ。まだまだできると成績は示す。だがオファーを待つのは今年限り。来年はないと、心は決まっていた。

期限六日前。家族が見つめる中、期限前最後のホームゲーム。子供たちも、これからの打席の重みを理解していた。

逃げないこと。あきらめないこと。父のバットは子供たちにそう教える。

そして迎えた7月31日。

移籍期限当日、待ち続けた電話はついに鳴らなかった。子供たちは近くにある妻の実家に泊っている。これから行って、父としてのけじめをつけなければならない。

四年に渡った密着取材。男のそばにはいつだって家族がいた。命の危機を乗り越え、未熟児として生まれてきた長男じゅんやくんは今年受験に合格し志望校に入った。

次男こうせいくんは、お父さんに憧れて野球を始めた。三男えいごくんは、お父さんがプロ野球選手だと、少しずつわかり始めている。

NPBでの通算安打は1865本。あと135本で念願の2000本だった。どうやらそれはもう叶わない。けれど父の背中を見続けた息子たち。そこから学んだものがきっとある。

翌日。次はファンにけじめをつける番。スーツに着替えて、会見場に向かう。

これから踏み出す未来はもう心に描けている。栃木での半年が示してくれた指導者の道。自分の引き際を客観的に見つめ、だからこそ会見でのあの発言が生まれた。力があるのにやめるしかない。それを引退という個人の言葉にしたら、同じ不幸が今後も続いてしまう。村田はそう考えたのだ。

球界はそれでいいのか。未来への問題提起をして、男、村田は散っていく。

テレビ東京