ここから本文です

龍谷大平安、100回大会で決めた史上2校目春夏100勝

8/12(日) 5:59配信

スポーツ報知

◆第100回全国高校野球選手権記念大会第7日▽1回戦 龍谷大平安3x―2鳥取城北(11日・甲子園)

 名門・龍谷大平安(京都)が、劇的なサヨナラ勝ちで史上2校目の春夏通算100勝を達成した。8回に2点を追いつかれたが、9回2死三塁から安井大貴左翼手(3年)が左翼線に適時打。原田英彦監督(58)は男泣きにくれた。報徳学園(東兵庫)は、巨人も上位にリストアップしているドラフト1位候補の1番・小園海斗遊撃手(3年)が大会タイ記録の1試合3二塁打を放ち、いずれも生還。全3得点を記録する大活躍で聖光学院(福島)との接戦を制し、8年ぶり初戦突破と16強入りを決めた。

 打球が左翼線の内側で弾んだ瞬間、龍谷大平安の原田監督はもう大きな目を潤ませていた。9回2死三塁、安井がサヨナラ打を放った。「自分のエラーで同点にされた。絶対に決めてやると思っていました」。史上2校目の甲子園通算100勝をたぐり寄せたヒーローもまた、泣いていた。

 1点リードの8回1死一塁で、安井は左翼への飛球の目測を誤り(記録は三塁打)、同点とされた。ミスを帳消しにする一打に、指揮官は「本当にうれしかった。そんなに気持ちの強くない子なんですけどね」とまた涙。「100回大会で100勝」を合言葉に挑んだ夏。先輩たちが汗を流してきた聖地で、ナインたちは確実に成長していた。

 京都で生まれ育った原田監督にとって、「平安」は幼い頃からのあこがれだった。小学校の同級生で作ったチームの名前は「京都平安」。Tシャツにマジックで「HEIAN」と描き、仲間と走り回った。2008年に校名変更した際は、ユニホームの胸に「龍谷大学」の文字を入れることを拒否。最終的には左袖にロゴが入ったが、大好きなチームの伝統を守り続けようとした。

 1993年の監督就任以降、誰よりも歴史の重みを感じてきた。甲子園出場を逃せばバスを取り囲まれ、OBから厳しい言葉を浴びせられた。アルプス席から「原田、もう辞めろ!」というヤジに応戦したこともある。「ずっとこれ(100勝)に集中してやってきた。今はあんまり次のことは考えたくないです」と本音をのぞかせた。

 4月に亡くなったOBの元広島・衣笠祥雄さん(享年71)と昨年11月に撮ったツーショット写真は、お守り代わりに持ち歩いている。「(京都に)帰ってから報告します。『よかったな』と笑っておられるでしょう」と声を震わせた。

 試合後の一塁側アルプス席前では、京都大会から恒例となった“勝利の儀式”を敢行した。「お前たち最高だぜ~」と原田監督が叫ぶと、選手も観客も一体となり「ウォー!」と声を張り上げた。節目の勝利を達成し、京都勢の通算200勝まであと2勝。龍谷大平安が、この夏の主役も奪いにいく。(河井 真理)

 ◆龍谷大平安 1876年創立の私立校。野球部は1908年創部。27年夏の甲子園に平安中として初出場。38年夏に初の全国制覇。平安高として51、56年夏に甲子園優勝。2008年に現校名となり、14年にセンバツ初優勝。春夏通算74度の甲子園出場は史上1位(2位は中京大中京の58度)。主なOBは、元名古屋(現中日)監督の本田親喜、元阪神監督の金田正泰、天びん打法で大洋などで活躍した近藤和彦、69年に阪急で盗塁王を獲得した阪本敏三、元広島・衣笠祥雄、元阪神・桧山進次郎、西武・炭谷銀仁朗、フェンシング・太田雄貴、今年度アカデミー賞でメイクアップ&スタイリング賞受賞の辻一弘氏ら。

最終更新:8/13(月) 2:59
スポーツ報知

スポーツナビ 野球情報

MLB 日本人選手出場試合8/22(水) 8:30

Yahoo!ニュース特設ページ

あわせて読みたい