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戦死した画学生たち 「行って参ります」 遺作は語る 絵に込めた思い  【スマホニュースUHB】

8/11(土) 8:00配信

北海道ニュースUHB

「行って参ります」戦死した画学生たち

※動画は無音でもご覧になれます。

 第二次世界大戦で、「戦死した画学生たち」が描いた母や兄弟、故郷、そして恋人や妻たち…。戦後、残された絵を守り継いだ遺族の思いと共に、「無言館」の出張展が、札幌市内で開催されています。

 正装して、こちらを見つめる一人の老婆。
 
視線の先には、数日後、千葉から戦地の満州に旅立つ、孫の清さんが絵筆を走らせている。

 「天皇陛下さんに叱られるかもしれんけど、生きて帰って、また、婆やんを描いておくれ」
 
 しかし、絵の上手な孫はフィリピン・レイテ島で戦死。 蜂谷清、享年22歳。敗戦の1か月ほど前だった。

 青森出身の千葉四郎さんが描いた母の顔。
  
 満州で消息不明になったが両親は、戦死を信じず、部屋をそのままに帰りを待ちわびていた。
 
 その両親も亡くなり、「母の肖像」と「手の像」が姉の元に残った。

 弘前市での入隊が決まった日、芳賀準録(じゅんろく)さんは一言、「行って参ります」と腹の底からしぼり出すように言った。
 
 オーバーも羽織らず、黒い学生服の肩に小雪が舞っていた。出征する数日前、写生に行ったのが最後の思い出になった。

戦没した画学生たちの絵 蘇る

 21年前、長野県上田市に建てられた「無言館」。画家を志しつつ、戦争で亡くなった若者たちの絵を収蔵する美術館。

 無言館館主 窪島誠一郎さん:「ここ(無言館)にいるとね、戦争の時代、絵描きたちのプラネタリウムに入ったように…」

 札幌市中央区にある北海道立文学館。出張展のオープニングに、無言館の館主、窪島誠一郎さんが訪れた。
 
 窪島さんは全国の遺族を訪ね、若者たちの絵を預かり、私費を投じ 美術館を運営している。

 (絵を見ながら)窪島さん:「あのころのお婆ちゃん、みんな優しく、厳しく…。魂のこもった絵、心のこもった絵ですね」

 窪島さん:「この男性は東京帝大ですね、東大出の…野球選手だったんですね。肩の強い3塁手で、6大学の選手権に出場して…」

 絵画と共に、遺品の数々も窪島さんは預かってきた。

 窪島さん:「ぼくが大きい顔していられるのは、その手前の戦後50年は、ご遺族が守ったものですからね」

 「どうしても戦争という時代のフィルターを通して彼らの絵を見る…。当然のことですけど 可愛がっていた妹を描き、弟を描き、お母さんを描き、愛してた恋人を描き、ある意味本当の青春なんですね」

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