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湖底の塩や砂が襲う街 故郷去った住民数万人 アラル海

8/13(月) 9:41配信

朝日新聞デジタル

 中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖「アラル海」。日本の東北地方とほぼ同じ広さの湖面積が、わずか半世紀で10分の1にまで干上がった。ソ連時代の無謀な水資源利用のつけを、人々は今も払い続けている。

【写真】牛飼いと牛たちが朝、船の横を通り放牧に向かう=2018年5月、ウズベキスタン・ムイナク市、川村直子撮影

 アラル海北部のアケスペ村は、乾いた湖底から吹き寄せられた塩混じりの砂に襲われていた。

 4月下旬に取材で訪れると、土壁の間際まで砂が押し寄せ、半分以上埋もれた平屋や、屋根が落ち土壁が崩壊した廃虚が並んでいた。村内にいくつも砂丘ができていた。

 漁師だったジャクスィルクバイ・ジュバヌショフさん(86)は1959年に、25キロ離れたウシクル村から移住してきた。湖が干上がってウシクル村で漁ができなくなったため、新たにできたアケスペ村に移ってきたのだ。だが、70年代にはここも干上がり始めた。

 「毎日、砂を取り除いても、すぐに積もってしまう。家の中から見ると、押し寄せた砂が窓のすぐ外に見えた」

 砂を避けるために新しい集落が2キロほど離れた場所にでき、ジュバヌショフさん一家も2年前に移った。

 かつて100戸ほどあった古い集落に残るのは、今やウセノフ・タスボラットさん(68)一家など8戸のみ。タスボラットさんも5年前に建て直したばかりの家を捨て、近く新しい集落に移るという。

 アラル海には、かつて漁村がひしめく島もあった。東部にあったカスカクラン島もその一つ。クンキヤシュ・アルダンベルゲノワさん(77)は、65年に結婚してこの島で暮らすようになった。当時、大型の定期船も寄港し、生活物資も船で運ばれてきていた。70年代に入って間もなく、島の周りが干上がり、漁業ができなくなって人々が島を離れていった。夫が教師をしていたため一家は最後まで残ったが、75年、学校の島外移転に合わせ、湖岸の漁村カラテレン村に移転した。「湖底はからからに乾いていて、車で引っ越した」

 住み慣れた故郷を追われた人々は、カザフスタンとウズベキスタンを合わせて数万人規模に上ると推測される。

朝日新聞社