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「友情、努力、勝利」は本当か? 中年男子が少年ジャンプから本当に学んだこととは

8/13(月) 7:30配信

SankeiBiz

 今年は『課長島耕作』(弘兼憲史、講談社)のシリーズ35周年という記念すべき年である。主人公島耕作が仕事での成功・出世、さらには情愛を繰り返し、作中の役柄においても、作品名においても役職名が上がっていくという稀有な漫画である。私は島耕作が大好きな人間である。外伝を含め、全巻持っている。人は私のことを「耕作員」と呼ぶ。(働き方評論家 常見陽平)

◆島耕作35周年と『週刊少年ジャンプ』50周年 どちらがアツい?

 ただ、漫画に関して言うならば世間の関心は島耕作35周年よりも、集英社の『週刊少年ジャンプ』の50周年の方に集まっていることだろう、どう考えても。中年にとっても、島耕作は憧れの対象というよりは、面白がる存在になっているに違いない(私はいまだに島耕作に憧れているのだが…モテるとかじゃなくて、生き方に関して、だ)。今どきの中年なら「ジャンプ50周年」の方が語りたいことが多いのではないだろうか?

 言うまでもなく『週刊少年ジャンプ』は日本を代表する漫画雑誌である。ピークの1995年には653万部という漫画雑誌の最高発行部数を記録した。

 本誌や掲載作品の単行本を読んでいなくても、アニメや玩具、ゲームを通じてジャンプキャラと出会った人もいることだろう。当時は『週刊少年ジャンプ』で連載し人気が出た漫画を、フジテレビでアニメ化し、バンダイ(現バンダイナムコグループ)が商品化するという「黄金の三角形」が存在した。

 80年代に雑誌の方を読んでいた人にとっては、読者投稿コーナーの「ジャンプ放送局」や、ファミコンに関するコーナー「ファミコン神拳」も楽しみだったことだろう。前者はネットにおける投稿文化にも影響を与えているのではないかと私は見ている。後者は『ドラゴンクエスト』シリーズのヒットに貢献していると言えるだろう。

 広告欄も味わい深かった。私はトレーニング器具のブルワーカーをいまだに持っている。 ついついイントロだけでこれだけ書いてしまった。中年にとってジャンプ語りはたまらないのだ。

◆意外に噛み合わない?中年の「ジャンプ語り」

 もっとも、「中年」の「ジャンプ語り」については、誰もが盛り上がりそうなネタのようで、噛み合わなかったりする。そう、いつからいつまで読んでいたのか、推し漫画は何か、どれくらい熱いのか、詳しいのかという点は個々人によって違うのだ。いや、なんとなく作品名と内容は分かるのだが。これは、中年がBOOWYや尾崎豊、THE BLUE HEARTSについて熱く語りつつも、どうせ代表曲のサビくらいしか知らないのと一緒である。

 小生は1974年生まれだ。最も一生懸命ジャンプを読んでいたのは小3だった1983年から中学校に入った1987年くらいまでだ。しかも、雑誌としての『週刊少年ジャンプ』はほぼ買ったことがない。床屋や、入院していた父親の病院、友人宅でまとめて読んでいた。

 個人的に思い入れの強い漫画は『ブラック・エンジェルズ』『北斗の拳』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『聖闘士星矢』『キン肉マン』『ウイングマン』くらいだ。

 これらの漫画に関しても、連載の時期によってはさめたりもした。たとえば、『こち亀』が好きだったのは1980年代までで、それ以降は流行紹介漫画風になったり、キャラも増えたりして、いまいちのれなくなってしまった。『キン肉マン』も一番熱かったのは、タッグトーナメント編くらいまでで、「王位継承編」はストーリーに無理を感じたり、筆者の病気による休載期間があったりして、その間にさめてしまった。

 他の人気漫画(と言われるもの)については、あまり熱くなれなかった。『キャッツアイ』や『CITY HUNTER』はエロい描写なんかもあってドキドキしたのだが、ストーリーを理解できなかった。『ドラゴンボール』に至っては、初期のレッドリボン軍との戦いあたりは夢中になって読んでいたが、敵キャラのピッコロ大魔王が出てきたあたりからさめてしまった。

 『SLAM DUNK』は、主人公がヤンキー風の髪型だった頃しか読んでいない。『魁!!男塾』も初期のシゴキ漫画だった頃は好きだったが。人生の楽しみを捨てていると言われるが、なんとでも言ってほしい。

 とはいえ、あとになってハマった漫画もある。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズなどがそうだ。40代になってから文庫本ボックスを大人買いした。

 『デスノート』などはリアルタイムではないが、30代になってからハマり、やはり全巻買ってしまった。会社で探偵Lのマネをして、角砂糖をコーヒーにいっぱい入れたら、みんなひいていたが。

 何が言いたいかというと、『週刊少年ジャンプ』については、ついつい熱く語りたくなるが、実はすべてが共通の体験かというとそうでもないということだ。それぞれハマった時期やハマり方は違うのだ。

◆むしろ学んだのは「理不尽さ」

 いつの間にか記憶が更新されてしまうというのは中年のよくある問題だ。そう、あたかも「中年は誰でもジャンプにハマった」かのように思ってしまうのだ。

 同様に気をつけたいのは、私たちはジャンプから何を学んだのかという問題である。よく、ジャンプといえば「友情、努力、勝利」だと言われる。たしかに、前出の漫画でも敵と仲良くなり、努力し、勝利するというパターンはよくある。もちろん、それは否定しない。

 しかし、本当に私たちが学んだのは「友情、努力、勝利」だけなのだろうか。違う。むしろ、私たちがジャンプから学んだのは「理不尽さ」ではないだろうか。

 『週刊少年ジャンプ』は、アンケートハガキ至上主義で知られている。読者アンケートで人気が下がった作品は強制終了されてしまうというものだ。ジャンプとその関係者を描いた漫画『バクマン。』にもそのあたりの事情は描かれている。

 特に印象に残っている、打ち切り劇とされる騒動で言えば、『魁!!男塾』の著者として知られる宮下あきらが手がけた『瑪羅門の家族』である。もともとは読み切り漫画だったということもあり、長期連載は想定していなかったのかもしれないが、1年も待たずして終了したのは正直、意外だった。

 最終回は大変に理不尽なものになることがある。たとえば、『ハイスクール!奇面組』などは、一連の作品の中身がヒロインの夢だったともとれる終わり方で、賛否を呼び、論争となった。

 なお、この「強制終了」の問題だけでなく、「強制続行」というものもある。人気があるので終わらないのである。『北斗の拳』なんかも、ラオウを倒して終わってくれたらまさに「我が生涯に一片の悔い無し」だったのだが。

 その点、『デスノート』は当初から、人間の煩悩の数と同じ108話で終わることを前提に描いたと著者が語っており、実際、その通り達成できたという点で好印象だった。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』も、作者が好きに終わらせたという印象が強い。

 設定についての矛盾も多数あり、そこからも大人の事情を学んだ。『魁!!男塾』に至っては、当初、巨大すぎるだろという身長だった大豪院邪鬼が適度なサイズに途中から変化していたりもした。

◆「強さのインフレ」的な重い目標を背負わされ

 強さのインフレもジャンプから学んだことだ。『ドラゴンボール』を途中で読むのをやめたのもそこからだった。だんだん、主人公が必殺技の「かめはめ波」を出しても勝負が決まらなくなっていく。見開き全部がかめはめ波という展開を何度も見たような気がする。というか、初期から登場している主人公と修業を積んだクリリンの立場が気になってしまう。これぞ、同期トップ出世と、万年平社員の差のようなもの、か。

 思うに、我々中年は「友情、努力、勝利」はビジネスの世界では必ずしも通用しないことを思い知らされた上、実力主義で働かされ、理不尽な展開や、強さのインフレ的に重たい目標を背負わされたりと、まあ辛い思いをしてきた。これぞ、ジャンプが予言してくれたことじゃないか。

 同僚に足を引っ張られたりすると「友情」とは何か信じられなくなる。しかし、異動、転勤、出向などはジャンプ的な無理ゲー的展開だとも言える。昇進・昇格したところで、さらなる敵が現れてくることはジャンプが予言していたことだ。何よりも、毎回、査定があるたびに、読者アンケートと理不尽な強制終了・続行を思い出してしまう。

 保身のためにくれぐれも言うが、ジャンプのことを嫌いなのではない。でも、本当に学んだのは実はこういうことだったのじゃないか。『北斗の拳』の悪役、アミバの名セリフ「暴力はいいぞ!!」ではないが、「社会人は、いいぞ!!」と言われ続けているような気がする。『北斗の拳』のケンシロウに「お前はもう死んでいる」と言われないほどに、魂は死んでいないのだが。

最終更新:8/13(月) 7:30
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