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「もう一度会いたい」 長崎原爆投下のあの日…命の恩人“シゲちゃん”どこに

8/13(月) 8:02配信

西日本新聞

 間もなく、平成最後となる「終戦の日」を迎える。悲惨な記憶を胸に刻むため、西日本新聞に掲載された過去の記事をあらためて紹介したい。これは幼い頃、長崎原爆で九死に一生を得た男性の「命の恩人」を捜し歩いた記者が紡いだ物語である。

【写真】恩人のシゲちゃんに助けられ、戦後の小学校に通ったころの池田さん

 ミッちゃんとシゲちゃんは、一緒にエレベーターに乗り込んだ。1階に着き、扉が開く。1945年8月9日午前11時2分。一歩踏み出した瞬間、まぶしい光とともに爆風に吹き飛ばされた。

 その日、長崎医大付属病院外科病棟の屋上は、焼け付くような暑さだった。6歳の少年2人は空襲の爆弾の破片を探して遊んでいた。午前11時ごろ、「あった! こいは太かばい」。自慢げなシゲちゃんだったが、すぐに「便所に行きとうなったけん下に降りよう」とミッちゃんに駆け寄った。

 まだ小さい破片しか持っていなかったミッちゃんは首を振る。「もっと太かとば見つくっと!」。シゲちゃんは「こいばやっけん、お願いさ。一緒に行こう」。見つけたばかりの大きな破片を差し出した。

 長崎市の浦上地区にあった付属病院は爆心地から南東700メートル。エレベーターに乗るのが少しでも遅かったら、屋上で熱線を浴び灰になっていた。頑丈なコンクリート製の建物に守られたからこそ、2人は奇跡的に助かった。あの時、シゲちゃんが「下に降りよう」と言ったから。

「もう一度会いたい」思いを託された記者

 一瞬で多くの人々の運命を変えた長崎原爆の投下から間もなく72年。ミッちゃんこと池田道明さん(78)=長崎県長与町=は、被爆翌日に別れた「恩人」のシゲちゃんを捜し続けている。「もう一度会いたい」。思いを託された記者は、本名さえ分からない少年の消息を追い、過去を歩いた。

 きのこ雲の直下にあった長崎医大付属病院一帯は、暗闇に包まれていた。気が付くと、シゲちゃんの気配がない。しーんとしていて怖い。「どこにおっとねー」。声を張った。2度目で、ようやく聞き慣れた高い声が返ってきた。「ミッちゃんここよー」。ほっとした。

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最終更新:8/13(月) 12:33
西日本新聞