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戦友の遺体からコメを奪った。「地獄」を見た少年、73年の葛藤

8/15(水) 6:12配信

BuzzFeed Japan

戦争とは、自分にとってなんだったのか。70余年にわたって、考え続けている人がいる。青春真っ盛りの19歳に徴兵に取られ、「終戦」の4日前に戦場に駆り出され、そして地獄を見た男性は言う。「戦争によって、自分の人生は変えられてしまった」【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

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「18歳で上京してきて1年間、青春を謳歌していましたよ」

そう、BuzzFeed Newsの取材に笑顔で話すのは、松本茂雄さん(93)だ。

1925(大正14)年、福島生まれ。当時のことを伺うと、懐かしそうに目を細め、こう語り始めた。

「ちょうど僕が小学生のころ、国会議事堂が落成して。ああいう建物をつくりたいと、建築家に憧れたこともあった。親戚に医者が多かったから、医者にもね」

「でも、あるとき父の知人の銀行役員に『経済でも学んだらどうだ』と言われて、ふと、銀行員もいいなと。それで、早稲田の政経を受けたんです」

松本さんは、旧制中学5年生で早稲田大の政治経済学部に合格。1943(昭和18)年に上京し、予備教育を受けるため第二早稲田高等学院に入学した。

終戦の2年前のことだ。

渋谷駅から歩いて10分ほどのところに下宿していた。宮益坂を通って駅まで行き、バスで早稲田まで行く。そんな日々だった。

「入学してすぐね、ある教師が集まった生徒に言ったんです。『君らは何をしにここにきたのか。あれを見ろ』と。ガラス窓の先にあったのが、日本女子大でね。『あそこに3年通うんだよ。そこで生涯の伴侶を見つけるんだ』と(笑)」

それゆえ、日本女子大のある目白台に向かう坂は、生徒たちの間で「3年坂」と呼ばれた。

松本さんもそんな「教え」に従って、放課後に女子大生に会いに行ったこともある。

負けるとは思っていなかった

デートは大体が喫茶店だった。

白いのれんをかけた店では、アイスコーヒーを売っていた。伊勢丹の屋上では、ハイカラだった「マカロニ」を食べたこともある。

学生服に早稲田のバッジをつけるのが誇らしかった。女子は「モンペ」ではなくワンピースやスカートをまとっていた。まだ、時代は「平時」だった。

「戦争を強く意識したことは、なかったね。映画館でやっていたニュース映像では勝った、勝ったとばかり流れて、負けるとも思っていなかった」

夏休みにはテントを買って、男友達と地元でキャンプをした。いまでいうアイドルたちが公演していた新宿の劇場「ムーランルージュ」にも通いつめた。

「ムーランのことはなんでも知っているという4人衆がクラスにいてね。そいつらを通さないと、なかなか簡単には行けなかった」

普通に遊んで、普通に勉強をして、そして就職する。そんな風に松本さんは思っていた。

しかし、灰色の時代はすぐそこまで、近づいていた。その年の10月には20歳以上の学生の徴兵猶予が解除された。いわゆる「学徒出陣」のはじまりだった。

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最終更新:8/17(金) 19:30
BuzzFeed Japan