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60年代メンフィス・ソウルの“クイーン”カーラ・トーマス、熱狂の来日公演開催

8/15(水) 17:04配信

Stereo Sound ONLINE

 フジロック・フェスティバル‘18でも大好評を博したカーラ・トーマス&ザ・メンフィス・オールスター・レビュー。その単独公演が東京・ビルボードライブ東京(7月30日と31日)、大阪・ビルボードライブ大阪(8月2日)にて開催された。

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 「クイーン・オブ・ソウル」といえばいつの間にかアレサ・フランクリン(これを書いているとき、危篤との報が入った)に与えられた称号のようになってしまったが、1960年代当時のアレサの呼び名は、ぼくが後追いして知った限りでは「レディ・ソウル」(ソウルの貴婦人)であった。では「クイーン」は誰だったのか。カーラ・トーマスにほかならない。

 ソロ・アルバムのタイトルが『ザ・クイーン・アローン』、さらにオーティス・レディング(彼と共演し、録音を残した女性歌手はカーラだけだろう)とは『キング&クイーン』という作品も残している。さようにカーラはクイーンとして扱われ、売り出されていた。『コンフォート・ミー』のジャケットを見るとセクシーな雰囲気でもファンにアピールしていたであろうことが想像できる。

 加えて父親が“世界一トシ食ったティーンエイジャー”ことルーファス・トーマスであるという毛並みの良さ。個人的にこれはナンシー・シナトラの父がフランク・シナトラ、ステラ・マッカートニーの父がポール・マッカートニー、富司純子(藤純子)の父が俊藤浩滋、というのと同じぐらいの強度を持つ。なにしろ父親が“メンフィスの首領”ルーファス・トーマスなのだ。

 カーラいわく、「来日は約30年ぶり」とのこと。米軍慰問を別としても、少なくとも今回が日本における初めての一般公演ではないようだ(『ミュージック・マガジン』や『SOUL ON』のバックナンバーを丹念に調べていけば、ライブレポートが載っているかもしれない)。

 共演者がまた、すごい。オルガンはチャールズ・ホッジス、ベースはリロイ・ホッジスのいわゆるホッジス兄弟。ギターのティーニー・ホッジスが亡くなって4年経つが、生きているふたりが仲良く活動を続けてくれているのは実に嬉しい。

 ギターのスコット・シャラードはグレッグ・オールマン(2017年死去)のバンドで長く活動した名手。ドラムスのスティーヴ・ポッツはアル・ジャクソン射殺後のブッカー・T&ザ・MGズで重責を務めてきた。味といいノリといい、現在この手の音楽に求めうる最高峰のリズム・セクションといえよう。

 最初に登場したヴォーカリストはカーラの妹、ヴァニース・トーマスだ。カーラの10歳下で’80年代にソロ・デビュー、ジャズ・サックス奏者の渡辺貞夫と共演するため来日したこともある。現役感バリバリ。存在に華があり、声もよく出ていて、客席の煽りもうまい。ルーファスに捧げた近作『Blues for My Father』からのナンバーも含む白熱のステージ。ヴァニースの熱唱に接するだけでぼくはこの日のモトをとった気がした。

 場内が暖まりきったあと、いよいよカーラ・トーマスが登場する。1942年生まれというから今年で76歳。ニュー・アルバムは1971年から出ておらず、しかも「B-A-B-Y」のシングル・ヒットは1966年なので、もう52年も前だ。もちろんこの日も「B-A-B-Y」は歌われた。声も姿も年輪を感じさせなかった、といえばウソになるが、枯淡の境地にあるとはいえカーラの生きている姿を見ることができたのはファン冥利につきる。

 「B-A-B-Y」は1967年に行なわれた、あの歴史的な“ヒット・ザ・ロード・スタックス”ヨーロッパ・ツアー(カーラ、オーティス、サム&デイヴ、MGズなどが参加)でもとりあげられ、その模様はライブ盤にもなっている。いつしか自分の中で、そのレコードのカーラの声と、いまそこで歌っているカーラの声が重なり合っていた。

 カーラがメインをとっている時間であっても、ヴァニースは姉の手の届く距離にいて、ときおりデュエットを聴かせたり、細かなケアをしたりしている。そして妹の生き生きした声が入ってくると、姉の歌いっぷりにも背筋がピンと伸びたような感じが加わる。姉妹共演は父ルーファスの人気曲「ウォーキング・ザ・ドッグ」(邦題:犬も歩けば)で締めくくられた。

Stereo Sound ONLINE / 原田和典

最終更新:8/15(水) 17:04
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