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夏の甲子園に潜む“無限ループ”は「最悪の事態」が起きるまで続くのか

8/17(金) 12:20配信

ITmedia ビジネスオンライン

 連日の熱戦に酔いしれている人は多いだろう。第100回全国高等学校野球選手権記念大会が真夏の甲子園球場で開催されている。第13日の8月17日にベスト8が出そろい、白熱の戦いもいよいよクライマックスが近づいてきた。

【夏の高校野球が開催されている、甲子園球場】

 一方で、さまざまなところから夏の甲子園開催へ疑問が投げかけられ、今も物議を醸している。「酷暑のグラウンドで行われる試合は危険」という指摘だ。日本列島は連日のように35度を超える猛暑日が続いている。甲子園も例外ではなく、グラウンド上でプレーする球児たちの体感温度は危険レベル。体温をはるかに超え、まるで低温サウナの中で試合をするような状態になっているとの声もある。

 だから有識者の方々は夏の甲子園を中止させるか、あるいは開催時期をずらすか、ナイター試合も組み込むか、もしくは空調設備の整ったドーム球場でトーナメントを行うべきだ――などと“妙案”を出しながら唱え続けている。もちろんこれらが間違っているとは思わないが、この類の話は近年になってワーワーと夏の風物詩のように騒がれているだけで真剣な議論になったためしはない。

 これを「改革」といえるかどうかはかなり微妙だが、今春のセンバツから延長13回以降のタイブレーク方式が導入され、早めの決着を促すことで選手たちの体調面を考慮する動きが多少活発になった程度だ。きっと今後も夏の甲子園開催のシステム自体は基本的にほとんど変わらないだろう。

日本人に根付く“ど根性論”が生む矛盾

 夏の甲子園は昭和の“ど根性時代”から続いてきた日本の文化のようなものだ。さすがに異常気象のあおりを受ける現在のような酷暑ではなかったにせよ、真夏の暑い日にグラウンドで球児たちに試合をさせることを日本人はつい最近まで美徳としていた。

 今となっては「愛のムチ」や「うさぎ跳び」「暑くても水を飲まない」などは非常識であり死語扱いだが、昔の日本ではこれらが部活動における正しいスパルタ教育の一環として世に浸透していたことを考えれば、炎天下で耐えながら球児たちがしのぎを削りあう夏の甲子園こそ、最高の青春の舞台として国民に浸透した流れはうなずける。

 そういう根性論がどこかに根付いている国民性なのだから、夏の甲子園を完全に否定することはどうしても難しい。それでも冷静になれる人たちは「わざわざ酷暑の中で野球をプレーするなんて自殺行為」として開催中止か、もしくは大会運営の大幅な改革を求めてシュプレヒコールを上げているが、よく見るとその現状は全国の高校野球支持者と比較すれば明らかに少数派だ。

 暑さ対策は何とかしなきゃいけないと思うけど、やっぱりカンカン照りの中で球児たちが汗を流す夏の甲子園は感動的で面白いから今のままで続けてほしい――。こういう矛盾した考えを持ちながら応援している人が今、大勢を占めているはずだ。日本は約100年前、第1回大会が始まった1915年から、夏の甲子園という“無限ループ”にはまり込んでしまっているのだろう。

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