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「良いチームを作るには、“叱る”ことが正義だと思っていた」 結果、25名のメンバーが4名に~株式会社スパイラルアップ・原 邦雄氏の原体験

8/24(金) 11:01配信

リクナビNEXTジャーナル

会社に属している中では、部下や後輩の育成に悩みを抱えているという話をよく聞きます。正解がないのはわかっていながらも、効果のある指導方法を模索している方も多いのではないでしょうか。
今回は、のべ100万人、国内外200社に導入されている「ほめる人材育成」(通称「ほめ育」)を創った原代表の経歴に迫るとともに、「ほめ育」で実践される人材育成ノウハウまでうかがいました。
プロフィール
原 邦雄(はら・くにお)氏
、一般財団法人ほめ育財団 代表。昭和48年生まれ。兵庫県出身。二児の父。大阪工業大学卒業後、平成8年 日本食研に営業マンとして入社。その後、船井総研コンサルタントからラーメン店洗い場に転職し、4年間住み込みで働く。平成23年に独立し、アメリカに会社設立。現在1年の4分の1程度は海外。アメリカ、インド、中国、オーストラリア、シンガポールなど世界10か国以上に広がる教育メソッド“ほめ育”の創始者。TV出演多数。ハーバード大学でのセミナーを始め、年間200回以上行う。「」(PHP研究所)など著書も多い。カンボジアの孤児院に寄付するなどボランティア活動も積極的に行っている。

日本食研の営業マンから船井総研コンサルタントに

大学卒業後は、食品メーカーの日本食研に営業マンとして入社し、約5年半働きました。商品である焼肉のタレを配達したり、スーパーの食品売り場に立ったり、ホットプレートで肉を焼いてタレをかけて売る、試食販売まで行っていましたね。
転機となったのは、入社して3年目。大手コンビニエンスストアを担当することになり、船井総合研究所(以下、船井総研)が開催していたマーケティング講座を受講することにした時でした。
当時、会社での営業成績は同期でTOP。「俺に勝てるヤツいないだろ」と調子にのっていました。しかし、船井総研では自分と同じ年くらいの若いコンサルタントが経営者に向けてセミナーをしていたんですよ。そこで「まだ上には上がいるんだな」と、ショックを受けたんです。また、受講しているうちに、コンサルタントという仕事に対して、「かっこいい!」「いいなぁ」という思いも芽生えてきました。そこで、船井総研への転職を決意。中途採用に応募し、約30倍の倍率をくぐり抜け、入社しました。
入社後は、「住宅リフォーム、外食・小売業」のコンサルティングをしているチームに配属。それまでは、コンサルタントの仕事ってかっこよくて、働く時間も短いと思っていたのですが、とんでもなかった(笑) 与えられたのは、大量のコピー取りの仕事や、「DMを3,000通、明朝までに作ってください」という、到底無理な指示までありました。難関を突破して入社していたので、みんなプライドが高くて、天狗になっている。会社としては、その鼻をへし折る必要があったんですね。そうして、やっと一人前のコンサルタントになってからも徹夜仕事はたびたび。朝は給湯室のシンクで髪を洗っていたくらいです(笑)
そこまで一生懸命仕事をし、クライアントである中小企業経営者の「顧客満足を追求」するために頑張っていました。
そこから2年ほど勤めていましたが、なかなかコンサルタントとしての花が咲かないんです。おそらく、まだ自我があったんでしょうね。「僕はデキるのに…なぜ…」と伸び悩んでいました。アイディアは沢山あったし、コンサルタントとして1番になりたかったけど、全く先が見えない。
そこで当時の上司に相談したところ、「今後インターネットの普及で、無料で経営ノウハウの情報が経営者に入る。その半面、現場にいるスタッフと経営者とのかい離が今まで以上に広がり、意思疎通ができなくなる。そこに新しいマーケットができるはずだ」とお話しいただいたんです。「現場で、まずは繁盛店を作ってみるといい。そしたら、またコンサルタントに戻ってこい!そうすると1番になれるよ」と。
このままだと「机上の空論のコンサルタント」になってしまう。まずは、現場に行かなければいけなかったんだと考えたんです。そこで、ラーメンが好きだったので、知り合いの社長が経営する人気豚骨ラーメンチェーン店に入りました。社会人7年目、29歳の時でした。

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