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【平成クロニクル(10)】年越し派遣村(2008年大晦日から翌年正月) 「貧困」の見える化

8/24(金) 12:13配信

ニュースソクラ

リーマンショックと派遣切りと

 人は見たいものしか見ようとしない。見たくないものは存在しないも同然。そうやって日本社会は「貧困」を放置してきた。

 それを一挙に「見える化」したのが、2008年大晦日から09年正月にかけて東京・日比谷公園の霞門付近に開設された「年越し派遣村」だった。

 「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」や、労働組合の「全国コミュニティ・ユニオン連合会」などの組織した実行委員会が、派遣村に集まった失業者への炊き出し、生活・職業相談、生活保護申請の支援をした。日比谷公園の年末年始の風景は一変し、多くのメディアがとり上げた。折しもリーマンショックの影響で派遣切りが頻発していた。

 派遣村には当初の予想をこえて、500人もの失業者が集まった。

「この年末年始、どこにも寝場所がない、飯を食うお金がない、駆け込む先がない、というところで路頭に迷う人が増えています」と、派遣村の村長を任された湯浅誠(現法政大学教授・社会活動家)はマイクを握って語りかけた。

 集まった人びとは、リーマンショックで派遣切りされた人よりも、長く路上生活をしているホームレスのほうが多そうだったが、ともかく貧困の塊がテレビ画面に現れた。

 当時の麻生政権には、強烈なボティブロウだった。「自己責任論」を唱えて派遣村を批判するムキもあったが、野党党首らが次々と派遣村を訪れて応援の演説をした。年を越すと麻生内閣の支持率は20%を割る(共同通信調査)。

 政府が見て見ぬふりをしてきた貧困の問題に火がついた。

 リーダーの湯浅が貧困に向き合ったのは、東京大学法学部を卒業し、大学院入学の勉強をしていた1995年ごろだった。社会活動家の間では伝説的な拠点とされる「ながれや」に足を運んだのがきっかけである。

 「ながれや」は、新宿区高田馬場の古びたマンションの一室を事務所にしていた。昨年ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)国際運営委員でピースボート共同代表の川崎哲らが「ながれや」の中心メンバーだった。大学内の権威主義的な学生運動に嫌気がさし、社会に飛び出て変革を志す20人ほどの若者が事務所に集った。なかにはモヒカン刈りのミュージシャンもいた。

 「ながれや」の活動は、二種類に大別できた。一つは代々木公園、原宿を中心に賃金未払いや労働災害、不当解雇に直面した外国人を支援すること。もう一つは都庁の落成後、新宿駅周辺から追い立てられたホームレスを支えることだ。

 毎週木曜、「ながれや」に外国人労働者の相談窓口を開くと、イラン人がどっと押し寄せる。事務所に入り切らず、屋外まで溢れた。たちまち近隣から「何をしているんだ。犯罪者の巣窟か」「ゴミの出し方がでたらめだ」と怒鳴り込まれる。世間は偏見に満ちていた。

 渋谷でホームレスが重篤に陥り、救急車を呼んでもなかなか来ない。来ても、乗せる、乗せないで、ひと悶着あった。以前、湯浅は私のインタビューで、こう語った。

 「われわれ支援者が付き添おうとすると、家族ではないからダメと同乗を断られる。なかにはいったん走りだして、角を曲がったところで降ろしてしまうケースもありました。だから救急車の後ろをバイクで追いかけた。渋谷の人を墨田区の病院に連れて行く」

「入院させてくれず、救急外来で処置をして病院を出されるので、コンビニで温かい食べ物を買って迎えたりとか……。あのころ、格差、差別とは言われたけど、貧困というワードはなかった。でも、外国人労働者もホームレスも、同じ貧困のなかで苦しんでいました」

 その後、「ながれや」は解散した。湯浅は「反貧困ネットワーク」を結成し、貧しさで一度転ぶとセーフティネットがなく、どん底まで転落する「すべり台社会」からの脱却を唱える。希望が持てる社会への改革の一里塚が、年越し派遣村だった。

 2009年1月2日、ついに国も動く。実行委員会が用意したテントは150人しか泊められなかった。派遣村には300人ちかくが集まっていた。湯浅は、厚生労働副大臣の大村秀章に「テントに入りきらず、病人も出ている。受け入れ施設を用意してほしい」と電話を入れる。

 大村は「直感的にヤバイ」と思い、「あの現場をみたら助けないわけにはいかないだろ」と厚労省の講堂の開放を決断。厚労省幹部も「目の前の日比谷公園で、失業者が凍え死んだとなれば批判を浴びるどころか、内閣が吹っ飛ぶ」と応じた。午後5時過ぎに「講堂に暖房を入れろ」と大村が指示し、260人の失業者が講堂に泊まった。

 1月5日以降は、厚労省と都が都内四か所の簡易宿泊所を用意し、12日まで提供した。

 年越し派遣村の対応に批判があるのも事実だ。実行委員会にかかわる労働組合なども自らの施設を開放すべきだったという意見もある。しかし、貧困を可視化した点では、前代未聞の出来事だった。湯浅は、現在「子ども食堂」の活動に力を入れている。

 見ようとすれば見える問題は私たちのまわりに転がっている。

■山岡淳一郎(作家)
1959年愛媛県生まれ。作家。「人と時代」「21世紀の公と私」をテーマに近現代史、政治、経済、医療など旺盛に執筆。時事番組の司会、コメンテーターも務める。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(草思社)、『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』(平凡社)、『逆境を越えて 宅急便の父 小倉昌男伝』(KADOKAWA)、『原発と権力』『長生きしても報われない社会 在宅医療・介護の真実』(ちくま新書)、『勝海舟 歴史を動かす交渉力』(草思社)ほか多数、『神になりたかった男 徳田虎雄』(平凡社)はこちらから http://www.heibonsha.co.jp/book/b314288.html

最終更新:8/24(金) 12:13
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