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リーマン危機から10年 克服の過程で様々な歪み

8/28(火) 12:15配信

ニュースソクラ

【けいざい温故知新】ポピュリズムとバブルの火種

 「100年に1度」の危機と騒がれたリーマン・ブラザーズの破綻(2008年9月15日)から来月で10年。世界経済は「グレート・リセッション」(大不況)を乗り切り、震源地の米国で4%成長(4-6月期・年率)を記録するまでになった。

 戦前の「グレート・デプレッション」(大恐慌)では、発端の米ウォール街の大暴落(1929年10月)から10年後に第2次世界大戦が勃発(39年9月)した。「30年代の再来」は避けられたが、足下で米中貿易戦争がエスカレートし、トルコ・リラ急落が世界の市場が揺さぶるなど、新たな危機の芽が見え隠れする。

 「30年代」と明暗を分けたのは米国の初期対応だ。FRB(米連邦準備理事会)の失策で、並みの不況を大恐慌にしてしまった、とは故ミルトン・フリードマン教授の説。29年のNY株暴落後、FRBは一時引き締めに動き、通貨量が激減、銀行倒産が相次いだ。

 リーマン危機では、フリードマン教授を崇拝するバーナンキ議長のFRBが、徹底した金融緩和で「最後の貸し手」責任を果たした。政権交代期に重なったが、ポールソン(ブッシュ政権)、ガイトナー(オバマ政権)両財務長官の継投がうまくいき、金融機関への公的資金投入による不良債権処理を手際よく進め、米経済の底割れをくい止めた。

 国際協調の有無も大きな要素だ。大恐慌時の米議会は、「スムート・ホーリー法」を成立(30年)させ、輸入品約2万品目の関税を大幅に引き上げ、世界貿易の縮小、保護主義拡散の原因をつくった。

 片や、リーマン破綻2か月後の08年11月には、世界のGDPの9割を占める主要20カ国・地域(G20)首脳がワシントンに集合、景気刺激の政策協調、保護主義の自制などで合意した。翌09年4月にロンドンで第2回会合を開き、G20サミットが制度化された。

 大恐慌時は33年になってやっと、国際連盟主催でロンドンに60余カ国が集い「世界経済会議」を開いたものの、第1次大戦の戦債や通貨問題で米欧の対立が解けず、成果がないまま無期休会になった。

 「新興国」の台頭も、リーマン危機の衝撃を和らげた。中国が、総額4兆元(約60兆円)の景気対策を打ち、真っ先にV字回復して世界経済を下支えした。

 リーマン危機とその克服の過程で、さまざまな歪みが生じたことは否定できない。

 ひとつは格差。米国では大恐慌以降、累進税制の強化などで70年代までに格差が大幅に圧縮された。レーガン政権の80年代から格差が再拡大し、リーマン危機前には、大恐慌前夜とほぼ同水準になっていた。

 格差が広がったまま、中間層以下が痛めつけられ、反グローバリズム、反エリートの「ポピュリズム」が勢いづいた。米国にトランプ政権が生まれ、欧州でもイタリアなどにポピュリスト政権が誕生し、EUの結束、先進国の結束が揺らいでいる。

「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権が、G20や、G7(主要先進7カ国)で培った国際協調を危うくしている。現代版スムート・ホーリー法のごとく、相手かまわず貿易戦争を仕掛ける。サプライチェーンが世界を覆う現状では、トランプ・リスクだ。

 主敵にされた中国は、新たな危機の震源になりかねない。4兆元対策で、企業や地方政府の債務が膨張した中国が、輸出に頼れず、苦し紛れに大規模な景気対策を打てば、80年代に対米摩擦逃れの内需拡大でバブルを膨らませた日本の轍を踏むかもしれない。

 大恐慌も、リーマン危機も、元はバブルの崩壊だ。危機対応でFRB、ECB(欧州中銀)、日銀が競ってバランスシートを膨らませた結果、世界に余剰マネーが滞留する。新たなバブルやパニックの素地にもなる。

 この間、新興国に債務が積み上がっている。FRBがマネー回収の出口政策の先頭を切るが、その際、ドル高が新興国からの資本流出を招きかねないことは、90年代のアジア通貨危機などの先例がある。

 トルコの経済危機が、中国なども巻き込む新興国全般の危機に発展するリスクも否定しきれない。

■土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。
著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版)

最終更新:8/28(火) 12:15
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