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「命がけ」で自然と格闘するスポーツ・アドベンチャーレースに挑む50歳の男。

8/31(金) 18:00配信

テレビ東京スポーツ

田中正人、50歳。

彼が「アドベンチャーレース」という常識外れのレースに取り付かれて二十年以上になる。

アドベンチャーレースは地球を舞台に、自然と格闘するレース。ある時は徒歩で川を越え、ある時はボートで激流をくだる。道なき道がレースのコース。長いものでは600キロ、七日間にも及ぶ。移動手段は様々。四人一組で行動し一人以上必ず女性を入れなければならない。
         
30年ほど前に産声を挙げたこのレース。現在ではワールドシリーズも行なわれている。田中正人は日本の先駆者。プロとして数々の修羅場をくぐってきた。マウンテンバイクで転倒し頚椎捻挫の重傷を負ったこともある。

そこまでして、なぜ?

彼らが命がけになる理由が知りたくて、取材を始めた。
今年、日本で初めてワールドシリーズが長野県白馬村で開催された。中心に立ち、一年がかりでコースを設計したのが田中だった。ここまで打ち込むようになったのは、ある大物芸人との出会いからだった。

その芸人とは…間寛平。

二人の出会いは24年前。マレーシア、ボルネオ島のレースでチームを組み、共に戦った。レースは見事に完走したが、間は二度と参戦しなかった。しかし間とのレースをきっかけに田中は、8年間務めていた会社を辞めた。
27歳の決断。安定した月給暮らしを捨てアドベンチャーレースにプロとして関わる決意をする。

それから20年あまり。生活は楽とはいえなかったが、パートに出てくれた妻の支えもあって、ここまで来られた。今は群馬県に家族三人で暮らしている。

妻との出会いもレース

通訳として現場に来た靖恵さん。彼女は、初対面だった未来の夫が足を怪我したチームメイトに詰め寄る姿を目撃する。印象的過ぎたその光景がなぜか二人を結びつけた。

言えばストイックが過ぎる人柄。なにせ娘の通学にも毎日付き合い、走ることを強要している。人とはずいぶん違う父の心。そこに気付いたせいか、娘のあきらちゃんは将来、心理学者になりたいと言う。

日本初のワールドシリーズ

世界レベルのアドベンチャーレースを日本で。田中が二十年来の夢を叶えた日本初のワールドシリーズ。
そこには世界9カ国から30チーム、120人が集った。今回のレースでは長野県の北半分という途方もない広さの舞台で、チェックポイントをクリアしながらラン、マウンテンバイク、ラフティングの3つをこなす。総距離250キロ、制限時間は3日と決められた。

そして朝8時、レースは始まった。待ち受ける自然の罠を彼らはまだ知らない。最初の競技は山野を走り抜けるラン。スタート直後、トップに立ったのは絶対王者のスペインチームだった。

その後、トップに立ったのはオーストラリアから参戦した頭脳派チーム。考えて勝つ、ミスのないレースが持ち味。

絶対王者のスペインに頭脳で挑む。
冷静沈着なオーストラリアと猪突猛進のスペイン。両者の争いは最後まで続く。

スタートから29時間を経て先頭を走る頭脳派集団、オーストラリアがラフティングに入った。ここまで不眠不休。大きなミスをせず、狙い通りの展開。だが背後には絶対王者のスペインが迫っていた。

一時は大きく離されたが、体力で挽回してきた。そしてレースは遂に佳境へ。行く手に待ち受ける最大の難所、壁のようにそそり立つ虫倉山。この断崖を選手たちはバイクを担いで、歩いて越える。

ラフティングの後、順位は入れ替わりスペインの絶対王者がトップに。そのままスペインチームは首位を死守しゴールした。さすがは歴戦のつわもの。小さなミスを力で取り返す、下馬評どおりの勝ちっぷりだった。

不眠不休で走り続ける過酷なレース。その道中には一歩踏み外せば命を落としかねない崖。自然の山の中を走り続けるため、熊だっていつ出るかわからない。本当の意味での「命がけの」スポーツになぜ田中は夢中になるのか?

しかし田中は言う「熊は自然の一部。実は人も自然の一部」極限でのせめぎあいに取りつかれた田中正人、50歳。その熱はまだ冷めそうにもない。

テレビ東京/追跡LIVE!SPORTSウォッチャー