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元ボクサー西島洋介さん ジム経営とVIPボディガードの今

9/10(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 4階級制覇を狙ってこの9月8日に復帰戦を判定勝利で飾った井岡一翔、10月7日のボクシング世界一決定戦「WBSSトーナメント」スーパーライト級1回戦出場予定の井上尚弥――。何かと話題が尽きないプロボクシング界だが、かつて日本人初の重量級世界チャンピオンとして一世を風靡した男がいた。本日登場の西島洋介さんだ。引退したのは5年前の11月。さて、今どうしているのか?

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「パンチを打つときは拳の一点に力を伝えろ!」

「オフェンスと同時にディフェンスを考えろ!」

 東京・西新宿の格闘技ジム「ヒデズ・キック」。日曜日の午前10時に訪ねると、自身のイメージカラーであるグリーンのTシャツにボクサーパンツ姿の西島さんが、「ワールドチャンピオンエクササイズクラス」のレッスン中だった。名刺には引退後に使っているトレーナー名「マスターにし」が記してある。

 このエクササイズは、ボクシングの基本動作をベースにしたオリジナル有酸素メニュー。ミット打ちや軽いスパーリングなどを取り入れ、ストレスを発散しながらダイエットができる。ボクシングスキルも学べ、心身ともに強くなるという。

「開講は2015年9月で、会員は約40人。そのうち女性が15人、下は5歳から還暦の男性もいますよ。受講料は1人1回3000円です」 

 遠くは車で3時間ほどかけ茨城県北部から通う親子も。

「まず楽しめることが最優先。もちろん、プロやプロ志望の人にはレベルに合った指導も行っています」 

 マンツーマンレッスンも入れ、休憩を挟んで1時間30分のエクササイズは、あっという間に終了した。その後、近所の中華レストランで割り勘ランチ。元世界チャンプとの食事と会話を楽しみにする会員も少なくない。 

 時にはVIPのボディーガードも引き受ける。

「引退したとはいえ、トレーニングは続けてますからね。セキュリティーをしてるマハラジャ六本木では、どんなトラブルメーカーでも私の姿を見たら、おとなしくなりますよ。アハハハ」 

■ピーター・アーツ戦の陰でバイト生活

 さて、板橋区生まれの西島さんがボクシングに目覚めたのは中学時代。元統一世界ヘビー級王者マイク・タイソンの試合をテレビで観戦し、「180センチしかないタイソン選手が2メートルほどもある大男をパンチ一つでなぎ倒す姿にすごく感動した」

 高校進学後、埼玉・オサムジムに入門。日本人初のヘビー級ボクサーを目指して猛練習を始めた。卒業直後の1992年3月に「西島洋介山」のリングネームでプロデビュー。3ラウンドKOで勝利し、5戦目に判定で敗れるも、それ以外は6割強のKO率で連戦連勝。95年2月、11戦目にしてNABO北米クルーザー級王座を判定で勝ち取り、日本人初の重量級チャンピオンとして一躍脚光を浴びた。

 キャラも濃かった。リングシューズの代わりに地下足袋を履き、繰り出すのは「手裏剣パンチ」に「宇宙パンチ」。

「全部、ジムの渡辺会長のアイデア。プロならお客さまを楽しませろ! 負けるときはダイナミックに負けろ! 楽しませてこそプロ!! と教えられました」 

 翌96年10月にはOPBF東洋太平洋クルーザー級、97年7月にWBF世界クルーザー級の両王座を奪取。この間、結婚したほか、「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングコーナーに出演するほどの人気だった。

 だが、契約のこじれから渡辺会長と袂を分かち、99年に単身渡米。現地ジムで猛練習に明け暮れたが、ひじの故障が原因で2003年7月に活動を休止した。

 帰国後、総合格闘技やK―1に参戦。敗れはしたものの、強豪のマーク・ハントやピーター・アーツとの熱戦は高視聴率を叩き出した。 

「参戦中も、マンションのローンと生活費を稼ぐため、練習の合間に毎日アルバイト。アーツ戦の時はラーメン屋でした」

 引退は13年11月。熊本県益城町で行われた格闘技イベントで“野獣”ボブ・サップを1ラウンドKOで葬り、有終の美を飾った。 

「長年の夢だったボクシングジム開設は、少し明るさが見えてきました。HPで案内する日は近いと思います」

 サップ戦の直前に離婚。今は葛飾区内のマンションに孤独な一人暮らしだ。

(取材・文 高鍬真之)