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プロ野球選手から、高校野球の監督へ。元中日ドラゴンズ・若林弘泰

9/10(月) 18:03配信

テレビ東京スポーツ

東海大菅生を強豪校にした男

118人の大所帯という分厚い選手層を誇る東海大菅生。その数字は監督・若林弘泰の人望を物語る。東海大菅生は、この男の指導で強豪校になった。

かつて中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手だった若林は、紆余曲折を経て、高校野球の監督に転身した。若林は名門・東海大相模の出身。社会人の日立を経て、1991年、ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団した。だが怪我に泣き、大半の時間を二軍で過ごし、一軍では6年間でわずか1勝。引退後は運送会社で働いていたが、5年後、先輩を通じて高校野球の現場を知った。

しかしハードルは高かった。現在では、3日間の研修を受ければ、プロ経験者も高校生を指導できる。だが当時は、教員であることが絶対条件。若林は教員免許のために仕事を辞め、大学に入り直した。高校野球の監督になれたのは42歳の時だった。

就任当初は都立高校にも負けていた。
目標にする甲子園は遥か遠く。“元プロ”その肩書きだけで勝てるほど高校野球は甘くなかった。

どうすればあの人に近づけるのか。高校時代の恩師であり甲子園2度の優勝を誇る名監督・原貢さんを敬愛してやまない若林。公式戦の際には帽子に恩師の写真を忍ばせているほど。4年前、その恩師の死が若林を目覚めさせた。

それまではプロのやり方を信じるあまり、ノックをコーチ任せにしていた自分。改善すべきはそこにあった。選手に自ら近づけば、自然に会話が生まれ、理解が深まる。それこそが鬼監督、原貢の教え方。鬼監督は誰もそう。鬼を演じているのだ。
「すべては選手のために…」その思いで打つノックには心と心のぶつけ合いがある。
       
一方で驚くのは、全体練習の短さ。夜7時に終わる。強制での成長には限りがあると自主練習を重んじ各自の裁量に任せている。プロの良さとアマチュアの良さを程よくミックスしたやり方。さらに教員として選手の進路相談にも心を砕く。

3年前。あの清宮が一年生の時、東海大菅生は西東京大会で決勝に進出。早実に敗れはしたもののチーム作りには確かな手ごたえが残った。

そして去年。清宮幸太郎最後の夏、東海大菅生は決勝で打ち勝ち、甲子園への切符をつかんだのだ。スーパースターの存在をチーム力で上回る、それが高校野球。甲子園でもベスト4にまで勝ち進んだ。

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