ここから本文です

ちょい負け名人、30過ぎてレッスン始めたら大受け!カリスマ指導棋士に

9/11(火) 16:01配信

スポーツ報知

 都心の禅寺に、駒の動かし方を覚えたばかりの幼稚園児からアマチュア高段者まで、幅広い層の将棋愛好家が集まっている。「広尾しょうぎ教室」(東京都渋谷区)を主宰する飯島篤也指導棋士四段(43)はプロの道を断念した後、一度は将棋界を離れたが、30歳を過ぎてからたまたま始めたレッスンが大受けし、いつの間にか「カリスマ指導棋士」と呼ばれるようになった。夢破れた元奨励会員が切り開いた活路とは?
(甲斐 毅彦)

 凜(りん)とした空気が張り詰めた座禅堂。その2階に上がると、和室から駒音が聞こえてきた。幼稚園児から中学生までの子供たちが、正座をして背筋を伸ばして黙々と将棋を指している。将棋を「頭の武道」と説く飯島さんの指導は、礼節を重んじるのがモットーだ。

 「将棋が強くても、行儀の悪い子が大嫌いなんで。極端なことを言ったら強くなるのは二の次でいい。あいさつとお礼はちゃんと言えるようにしなさい、と。(指導棋士の中でも)私、有数に小うるさいですね(笑い)」

 いきなり子供たちが逃げていきそうな話になってしまったが、ここに習いに来る子供たちからは「飯島先生の教え方は面白い」と好評だ。教室を始めて12年目で、どんどん生徒数は増えている。

 小4の2学期から将棋を始めた飯島さんは、こども大会で腕を鳴らし、中2の時にプロ棋士を目指して奨励会に入会。師匠は詰将棋作家としても活躍する伊藤果八段(67)だった。

 「自分もけっこうやんちゃな方だったんで。奨励会にいた頃は茶髪でしたから。師匠のところに行く時だけ髪を黒く塗ってごまかして…。一回怒られて坊主にして来い、と言われて。坊主にしても耳にピアスをしてたりで、もう勝手にしろ、と言われました(笑い)」

 やんちゃながらも将棋への取り組みは真剣だった飯島さんだが、規定の21歳までに初段になれず奨励会を退会。奨励会に入ってもプロの道に進めるのは、ほんのひと握りなのだ。公開中の映画「泣き虫しょったんの奇跡」は、奨励会を退会後、脱サラし異例のプロ編入試験に挑んだ瀬川晶司五段の実話に基づくが、飯島さんの時代には、制度そのものもなかった。飯島さんは、指導棋士の資格は取ったが、将棋界からは離れたままになっていた。

 「もう将棋の仕事をしようとは思わなかったですね。皿洗いをしたり、接客業をしたり…。(退会して)10年ぐらいたって、サラリーマンをしている時、知人に『ちょっと代わりに指導に行って来て』と頼まれたのが指導者になるきっかけでした」

 飯島さんは将棋界での挫折感が大きかった分だけ「負け方」がうまかったらしい。指導対局では、初心者が相手でも、分からないようにうまく転んであげることが大事なのだ。呼んだ側からは「また指導に来てください」と歓迎された。

 「昔は駒の動かし方ぐらいは分かっていて当たり前、という募集の仕方が多かった。相手に勝たせてあげるということをしなかったのかもしれません。プロにとっては無駄な作業ですが、僕にとってはそんなに苦でもなかったんです」

 2007年には自分の教室を開く。恵比寿の料理教室を間借りして生徒8人でスタート。すぐに手狭になり、近くにある広めのバーに移転して、講師も雇うようになった。「カリスマ指導棋士」の評判は口コミで広まり、09年からは広々とした禅寺に移転した。現在の生徒数は大人も含め約400人だが、依頼を受けて他教室、カルチャーセンター、小学校などにも忙しく出張指導に飛び回っている。多い時には1日50局ぐらい指すこともあるという。

 「計算すると1か月に280敗ぐらいしています(笑い)。指導対局って、よっぽどしっかりしている子で負かした方がいいな、という場合以外はあまり勝つことがないんです」

 飯島さんは自身の苦い体験からも、プロを目指すことを安易には子供たちに勧めない。

 「奨励会に行ってプロの棋士になれないという、つらい思いは味わわせたくはない。級が上がって強くなって喜んでくれるのもいいですが、街中で会った時に、その子にとって成長の一助になったのかな、と感じられる時がうれしいですね」

1/2ページ

最終更新:9/11(火) 16:01
スポーツ報知