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「一生恨みます」と辞める社員も。“どん底”でも「会社」という形にこだわり続けた、ある社長の18年間

9/13(木) 17:01配信

リクナビNEXTジャーナル

“ちょうど良い”サイズのWEB制作会社として、小回りの効く手厚い対応と人当たりの良さをウリにするフライング・ハイ・ワークス。「会社」であることにこだわり続けた18年間には、予想もしなかった出来事やどん底時代の経験もありました。創業前から現在に至るまでの軌跡を、代表取締役社長の松田治人が振り返ります。
※本記事は、「」より転載・改編したものです。

弁理士になるという道を外れ、ビジネスの面白さにどっぷりハマる

▲若かりしころの松田。弁理士を目指す道から、大きなシフトチェンジを
うちの家系は、弁理士一家なんです。祖父も父も弁理士で、僕も当然のように弁理士になるんだろうと思って育ってきました。
大学を卒業してから研究所に入って、弁理士になるための勉強を始めました。ところが、勉強しているうちに弁理士の世界に興味が持てなくなってしまった。論文を書いているだけの毎日で未来にワクワクできなかったんですよね。
何か楽しいことをしたいと思っていた1995年ごろ、先輩から「仕事を手伝わないか」と誘われたのです。それが僕の、ビジネスの世界への入り口でした。
最初はアルバイトとして参加して、セレクトショップをやったり、ネイルサロンをやったり、流行りに乗っていろいろなビジネスを手伝いました。
仲間たちで集まって「店をやろう!」と言ったと思ったら、何もない箱だけとりあえず借りて、アートディレクターが中心になって、みんなでわーっと絵を描いて、2週間くらいかけて内装をつくったこともありました。当時はその「みんなで創り上げた感」がすごく面白かった。働くことが楽しい、と思える体験でしたね。
そうこうしているうちに「社員にならない?」とオファーを受け、そのまま社員として入ることになりました。しばらくして上の人が抜けてしまって、なんだかんだ繰り上がるような形で気がつけばナンバー2に。このころにはもう、弁理士への道も捨ててしまいました。
だけどそのときは、迷いや後ろめたさはありませんでした。ようやく打ち込めることが見つかったと思って、そこから半年くらいは本腰を入れて仕事に取り組みます。
しかし、さまざまなトラブルもあり、どんどん売り上げが下がってしまい、最終的には5年ほどで会社をクローズすることになったんです。

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