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「干物銀座」風前のともしび 最盛期34軒→6軒に―熱海・網代

9/15(土) 13:22配信

伊豆新聞

 熱海市網代の国道135号沿いに軒を並べ、「干物銀座」の愛称で親しまれた干物店街。昭和40、50年代には34軒を数えた店は現在わずか6軒となった。店主の女性が客寄せのために行楽帰りの車に店頭でお辞儀をする光景はすでになく、高齢化と後継者不在で干物銀座の名もむなしく観光マップから消え去りつつある。

 「魚が捕れなくなったし観光客も減った。干物屋は消えゆく運命だ」―。網代港干物商組合の組合長で、干物店「幸助丸」を営む森野幸太郎さん(72)は現状をこう語る。

 網代漁港は昭和の時代、定置網、巻き網漁で栄え、大量のウマヅラハギ、イワシ、アジ、カマスなどの水揚げがあった。一方、1961年の伊豆急開通で伊豆南部への観光客が急増。同国道を利用するマイカー利用の観光客も増大した。

 伊豆ブームのさなか、行楽車両を目当てに「捨てるほど捕れた」というウマヅラハギを干物にして売り出す漁家が現れ、漁師の妻が副業にわれもわれもと始めたのが自宅を改造した干物店。約400メートル間に34軒が軒を並べた通りは干物銀座と呼ばれるようになった。

 店同士の客の争奪戦は激しく、女性が店頭に立って行楽帰りのマイカーにお辞儀をして客寄せする光景が名物に。週末には律義な姿に引き寄せられて行楽車両が数多く横付けし、各店は繁盛した。

 そんなにぎわいも観光客の減少と景気の低迷、定置網や巻き網の相次ぐ撤退、水揚げの減少で終わりを告げ、店主の高齢化と後継者不在から店は次々廃業。現在はピーク時の5分の1以下に減って通りは閑散とし、干物銀座の名も過去の遺産となった。

 看板を守る老舗の一つ「兵喜丸」の河野多世子さん(77)は「娘2人は嫁ぎ、私とお父さん(夫)の代で終わり。赤字だし本当は今すぐやめたいけど、健康のために続けているようなもの」と現状を語った。

 森野さんは「親戚や近所、同僚にと何万円分も買ってくれた客が大勢いた時代は昔。われわれも年老いたし、なじみ客も年を取って減った。残された6軒の店主は年寄りばかりで跡取りもいないから、体が利かなくなるか、冷蔵庫が壊れれば店じまいさ」と組合員の思いを代弁した。

 

 【写説】ピーク時に34軒が軒を並べた「物銀座」で現在営業を続けるのはわずか6軒。かつてのにぎわいはなく、消滅の危機にある=熱海市網代

最終更新:9/15(土) 13:22
伊豆新聞

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