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娯楽映画の巨匠、ロバート・アルドリッチ作品の深さ!

9/16(日) 11:11配信

dmenu映画

一作の映画、または一人の監督を核に、過去未来、ジャンルを超えて(思いがけない)映画の系譜を紹介する「#シネマ相関図」シリーズ! 第二回目は、ニューシネマの旗手でもあった娯楽映画の巨匠、ロバート・アルドリッチをピックアップ。

様々な娯楽映画を手がけ、映画史に大きな影響!?

ロバート・アルドリッチ(1918年-1983年)という監督名には、“男性派の”とか、“アクションの”と冠が付けられることが多い。だが、1941年にRKOに入社したのち、意外にも助監督としてついたのは、喜劇王チャーリー・チャップリンや『ピクニック』(1936年)、『大いなる幻影 』(1937年)の巨匠ジャン・ルノワール、赤狩りでアメリカを追われた反骨の巨匠ジョゼフ・ロージーなど(アルドリッチは、チャップリンを「世界最高の俳優だが、演出の仕方は知らんね」とオソロシイことを言っている)。

だがアルドリッチのフィルモグラフィーを概観すれば、彼がいかに多様なジャンルの作品を作り、その後の映画史に大きな影響を与えたかがわかる。この意味では、やはり助監督として付いたことのある、スペクタクルから女性映画までを得意とした、第一回アカデミー賞作品賞(『つばさ』)受賞監督、ウィリアム・A・ウェルマンに近いかもしれない。

その影響はヨーロッパへと飛び火

その影響はハリウッド内部にとどまらない。

“マカロニ・ウエスタン(英語圏では一般的にスパゲティ・ウエスタン)”の生みの親であるイタリアのセルジオ・レオーネは、アルドリッチの西部劇『アパッチ』(1954年)、『ガン・ファイター』(1961年)などに心酔していたので、ローマ史劇『ロード島の要塞』(1961年)で念願の監督デビューを果たした後であっても、自らのキャリアを一歩後退させて、第二班監督としてアルドリッチの史劇『ソドムとゴモラ』(1962年)に参加した。

レオーネは後に、『ソドムとゴモラ』のアクション・シーンの演出から、自分の作品に登場する「アイデアの骨格を手に入れた」と語っている。

レオーネの『荒野の用心棒』(1964年)が黒澤明の『用心棒』(61)の翻案であることはよく知られているが、『夕陽のガンマン』(1965年)の“名無しの男”クリント・イーストウッドと“大佐”リー・ヴァン・クリーフの、時に敵、時に味方という複雑な関係性も、アルドリッチの『ヴェラクルス』(1954年)のゲイリー・クーパーとバート・ランカスターがベースになっていることは明白である。

実は『荒野の用心棒』の主演依頼を断ったチャールズ・ブロンソンが、同作の世界的成功を見たこと、またシナリオが気に入ったこともあって、『夕陽のガンマン』で“大佐”を演じることに同意していたのだが、アルドリッチの『特攻大作戦』(1967年)に出演する契約を結んでいたため、断念せねばならなくなったのである。

レオーネが、念願のブロンソンを主演に迎えた『ウエスタン』(1968年)は、『ガン・ファイター』の影響を受けており、また『ウエスタン』のシナリオに参加したベルナルド・ベルトルッチも、後に不条理政治劇『暗殺のオペラ』(1970年)の一場面で『ガン・ファイター』を引用(映画館にポスターを貼るなど)していることを、レオーネの伝記を書いたクリストファー・フレイリングは指摘している。

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最終更新:9/16(日) 11:11
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