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俳優の樹木希林さん死去 75歳

9/16(日) 18:29配信

カナロコ by 神奈川新聞

 俳優の樹木希林さんが15日に東京都渋谷区の自宅で亡くなりました。75歳でした。2017年度に神奈川文化賞を受賞した際にこう語っていました。「役者としての感性を磨いた場所は、横浜の野毛でした」。当時の記事を再掲します。

輝く航跡 神奈川文化賞(3)女優 樹木希林さん 
役者の感性磨いた野毛

 「役者として一番能力が必要だったのはテレビの時代。テレビは頑張った。面白いものを作ろうと殺気立ってたし、あそこで、ものづくりの貯金をしたわね」

 60代でがんを患った。「長いせりふは覚えられないし、覚える気もない」。ひょうひょうと言う。テレビから映画に活躍の場を移した。数々の映画賞に輝いてきたが「映画は私にとっては楽なの」。さらりと笑う。

 役者の原点は、テレビの黎明(れいめい)期、21歳の時に出演したドラマ「七人の孫」だったと振り返る。俳優・森繁久弥さんと出会い、「人間をどう魅力的に演じるのか」、役者の神髄を目の当たりにした。

 「森繁さんは戦争をくぐり抜け、とても苦労した人。そんな人が『あの子がドラマに出るならパート2もやる』と言ってくれた」

 20歳以上も年が離れていた森繁さんを引きつけた役者の“資質”。それを育んだのが、幼いころから過ごした野毛だった。

 「人をずーっと見ていたの。それが役者にとって、かけがえのない財産になった」

 戦後間もなく、母親が野毛に大衆居酒屋「叶家」を開き、店の周辺は遊び場だった。「従業員の募集をかけると、げた履きで風呂敷包みだけ持って来るおじさんとか、当たり馬券を握ったまま死んでしまうような人もいた」

 風来坊が行き交う野毛の街は人間味があふれていた。「そういう人々がいる所で育ったからこそ森繁さんと向き合っても物おじしなかった」。あの時代の野毛の泥くささや人模様が、「人間を演じる」役者としての感性を磨き、育てる土壌となった。そう思いをはせる。

 東京の神田で生まれ、雑司が谷で育った。両親は毎日電車で野毛に通っていたが、中学生の頃に横浜市南区の井土ケ谷に引っ越し、21歳で結婚するまで横浜で暮らした。

 「夕日がとってもきれいだった」。12歳の時に油絵で描いた県庁の風景画を今も大切に持っている。

 額に入った思い出の絵を手に「これなら、神奈川県から賞をもらってもいいわね」と笑った。

 東京都在住。74歳。
【2017年10月28日公開】

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