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地域挙げグライダー訓練所整備 先の大戦前に原野切り開く/兵庫・丹波市

9/18(火) 18:00配信

丹波新聞

 太平洋戦争中、兵庫県丹波市(旧氷上郡)氷上町新郷の「赤井野原野」にグライダー(滑空機)訓練所があった。もともとは松が林立していた原野を切り開いて整備されたもので、その誕生を解く手がかりが、同県立柏原高校にあった。同校にある資料から、赤井野グライダー場は遅くとも昭和15年度、15年から16年にかけて整備されたことが分かる。

在郷軍人に学生らも整備に汗

 旧制柏原中学校の昭和15年度卒業アルバムに、赤井野開墾中の貴重な写真が収められている。松はすでに引き倒され、広大な原っぱで残った根を掘り起こす職員と生徒の姿がある。何かを燃やす煙があちこちで上がっている。同校発行の「柏陵」第1号(昭和16年)によると、この日は昭和16年1月14日。この日を始まりに7日間、同中生徒が赤井野で勤労奉仕したことが確認できる。

 滑空訓練の記述は、同市内各地の「村誌」などに見られる。特に詳しい村誌によると、「郡内各町村出動人員割当を受け特に手薄の在郷軍人の労働奉仕で山野を伐り開き滑空場と射撃場を完成」とある。柏原中の作業初日に立木がなかった事実は、昭和15年には工事が始まっていた事を物語っている。「柏原高校百年史」は「昭和16年に赤井野を開墾し滑空訓練を始めた」とあるが、氷上郡を挙げて取り組んだ大事業に旧制柏原中学生も労働奉仕で一部携わったというのが真相のようだ。

 赤井野に滑空場を誘致し、工事を主導したのは氷上郡「沼貫村」の村長で、在郷軍人会氷上郡連合分会長だった陸軍歩兵大尉、塚口誠一だったと見られる。「沼貫村史」によると、昭和14年に氷上郡町村会副会長(後に会長)になり、郡の在郷軍人トップとして「よく軍部との連絡を計り、グライダー練習場、射的場及び郡在郷軍人の練兵場等を赤井野に創設し軍部並に青少年の鍛錬道場とした」と綴っている。

 塚口村長は度々赤井野に足を運んだ。「赤井野一期生」の大木芳夫さん(94)=同市氷上町=は、訓練中激励を受けた事を覚えている。「雲の上の人のような偉い人で、光栄だった。軍の訓練の時に、村長に言われ合図のラッパを吹く係をさせてもらった」。

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最終更新:9/18(火) 18:00
丹波新聞