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樹木希林さんの「マスコミ嫌い」を変えた内田裕也の言葉

9/19(水) 11:02配信

東スポWeb

 15日に死去した個性派大女優・樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子)さん(享年75)は演技力もさることながら、その人間性や生きざまも人々を魅了してやまなかった。そんな唯一無二の女優も、夫でロックンローラーの内田裕也(78)なくしては存在し得なかった。離婚騒動などすったもんだの末、40年以上別居し続けた夫婦だが、なんと希林さんが内田から厳しく叱責されたことがあるという。型破り夫婦の意外すぎる秘話を公開する――。

 希林さんは2003年に網膜剥離で左目の視力を失い、05年には乳がんで右乳房の全摘出手術を受けた。しかし、その後全身13か所にがんが転移したことが発覚。自ら「全身がん」と称した。

「体調がすぐれない日も少なくなかったようで、車椅子で移動することもありました。ただ、自身も出演した映画『万引き家族』は『最後の作品になるかもしれない』という思いがあったそうです。カンヌ映画祭に出席するためフランスに飛びました」(映画関係者)

 5月、同作は最高賞パルムドールを獲得し、現地で喝采を浴びたのは記憶に新しい。

 だが、次第に希林さんの体は衰弱していく。8月13日には左大腿骨を骨折。同30日のイベントでは、義理の息子で俳優の本木雅弘(52)が「一時危篤状態になった。気管支が弱く、声が出ない状態」と説明したばかりだった。

 関係者によると容体が急変したのは14日深夜。翌15日午前2時45分、都内の自宅で家族にみとられながら息を引き取ったという。

 希林さんは1961年に文学座に入り、「悠木千帆」の芸名で女優人生をスタートさせた。70年からTBS系ドラマ「時間ですよ」に出演してお茶の間の人気を得ると、同局系の「寺内貫太郎一家」(74年)で大ブレーク。77年に現在の名に改めた後も多くのドラマ、映画でヒットを連発、CMも話題になった。

 在日韓国人2世の金嬉老が68年に起こした監禁事件がフジテレビでドラマ化されたとき、こんなことがあったという。

 芸能プロ関係者の話。

「主人公の金をビートたけしさん、その母親役を希林さんが演じました。すると希林さんのリアルすぎる演技に、たけしさんは『普通の演技をしていたら、希林さんと一緒には出られない。あまりに差がつきすぎてしまう』と舌を巻いたそうです」

 私生活では64年に俳優岸田森さんと結婚し、68年に離婚。73年に内田裕也と再婚したが、わずか1年半で別居状態に。81年に内田が一方的に離婚届を提出。すると希林さんが「離婚は無効」と提訴し、東京地裁は「無効」の判決を下した。

「計40年以上別居していますが、裕也さんも『離婚しなくてよかったし、このぐらいの距離感でいい』と思っていたそうです」(演劇関係者)

 もっとも、内田が希林さんに迷惑をかけっ放しなのはよく知られるところだが、たった一度だけ希林さんを叱りつけたことがあるという。

「2人が結婚したぐらいの頃の話です。当時、希林さんはしつこくまとわりつく芸能マスコミが大嫌いで、取材を拒否するどころか、ケンカまでしていたんです。そんな希林さんを見かねて裕也さんは『お前、マスコミだって人間なんだから、もう少し考えろ!』と叱りつけたそうです。それ以来ですよ。どんな記者でも取材に来るとコメントするどころか、家に入れたりご飯や酒まで振る舞うようになったのは」(同関係者)

 ちなみに09年、希林さんは、映画「歩いても 歩いても」で「第18回東スポ映画大賞」(ビートたけし審査委員長)助演女優賞を受賞している。体調不良のたけしが欠席した授賞式で希林さんは、内田から「東スポ(映画大賞)は欠席するなよ! 他のは欠席してもしょうがないけど…」と厳命されたことを明かし、主演男優賞の本木との“親子”ツーショットが実現して話題になった。

 希林さんは周囲に「内田は私にとって提婆達多(だいばだった)」と話している。提婆達多とは釈迦の弟子で後に釈迦を裏切ったとされる人物だ。いわく「提婆達多がいることで釈迦は悟りを開くことができた。自分にとって不都合なものを切り捨てては何も学べない。ダメなものを認めること。夫はそういう存在だ」と。

 2人しか知り得ない夫婦の絆は世間の常識では測れない。最もショックを受けているのは、裕也なのかもしれない。

最終更新:9/19(水) 11:43
東スポWeb