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鳥羽・海の博物館 石原義剛館長が死去 海女文化保存に尽力 三重

9/19(水) 11:00配信

伊勢新聞

 【鳥羽】長年にわたり、海女文化の保存と振興に努めた鳥羽市立海の博物館の石原義剛(いしはら・よしかた)館長が、17日午後8時16分、多臓器不全のため死去した。81歳。通夜は19日午後6時、告別式は20日午前11時から、いずれも伊勢市楠部町85の1、メモリアルホール五十鈴で。喪主は妻の淑(よし)氏。

 早稲田大学卒業後、名古屋市のテレビ局勤務を経て、昭和48年に同館の館長に就任。国内最大規模の約千点に及ぶ海女の漁具の収集などに力を注ぎ、海女文化の保存に尽力した。

 平成24年からは海女文化振興協議会の会長を務め、海女文化を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録する活動で中心的な役割を担った。日韓の海女交流の懸け橋役も務めた。津市出身。

 昨年7月、心不全のため伊勢市内の病院に入院。昨年10月に鳥羽市内で開かれた海女サミットを欠席するなど、療養生活を続けていた。

◆「復帰待ち焦がれていた」 訃報に関係者から惜しむ声
 海女文化の継承、発展に尽力した鳥羽市立海の博物館の石原義剛館長(81)の突然の死去の報に、関係者から「復帰を待ち焦がれていた」「残念でならない」など惜しむ声が上がった。

 「館長との思い出は尽きない。一緒に韓国・済州島の海女博物館を訪問したことなどを今でも鮮明に覚えている」と話すのは、海女振興協議会の副会長を務める三重大人文学部の塚本明教授。「鳥羽・志摩の海女漁の技術」が国の重要無形民俗文化財に指定されたのは「館長の功績」と振り返った。

 その上で、塚本教授は「海女が自分たちに誇りを持つようになったこと、国を超えて海女たちが仲間意識を持つようになったことは、重文指定以上に価値がある」と語った。海女文化を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録する活動にも触れ「あと一歩。石原館長の遺志を継ぎ、頑張っていきたい」と話した。

 石原館長は長年、漁村文化の調査を精力的に行い、多くの海女と交流があった。

 海女サミットの司会などを務めた答志島の海女・濱口ちづるさん(55)は「亡くなった事実をうまく受け入れられない」とショックを隠しきれない様子。「自分のことのように海女漁の存続を考え、行動してくれた。必ず元気になってくれると信じていたのに」と落胆した。

 鈴木英敬知事は18日のぶら下がり会見で「大変驚くと共に、とても悲しく思う。お悔やみ申し上げたい。海女サミットの立ち上げなど海女振興に極めて深い情熱をかけ、忌憚(きたん)のない意見を投げかけてくださった。この遺志を継ぎ、海女振興に努めたい」と述べた。

伊勢新聞

最終更新:9/19(水) 11:00
伊勢新聞