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<西日本豪雨その後>広島県三原市、濁流に飲まれた町~家屋被災し「将来見通せぬ」

9/19(水) 10:51配信

アジアプレス・ネットワーク

初夏から秋にかけて各地で自然災害が猛威を振るった日本列島。西日本豪雨で広島県内最大級の水害に見舞われた三原市本郷町、そして土砂災害で多くの家屋が倒壊した広島市安芸区の様子を振り返る。(矢野宏/新聞うずみ火)

◆暗闇での救助活動

広島市から車で東へ1時間あまり。三原市は県の南部に位置し、9万6千人が暮らしている。7月6日からの大雨で市の中心部を流れる沼田(ぬた)川が氾濫し、あわせて2616軒が床上・床下浸水被害を受けた。沼田川の増水で支流の水が行き場を失って逆流し堤防を決壊したため、被害をさらに大きくした。

500世帯以上が暮らす本郷町の船木地区。沼田川沿いにあり、広範囲で家屋2階付近まで冠水した。消防のレスキュー隊が到着したのは6日深夜。街灯も切れて真っ暗闇のなか、隊員7人は手漕ぎボートなどで取り残された住民の救助に向かった。地元市議の平本英司さん(45)も元消防団員の経験を生かし、一緒に救出活動に加わっている。

「大雨と二つのダムの放流が重なり、川の水位が急上昇した中での救出活動でしたから、怖かったですよ。ロープから手を離したり、転んだりしたら流されて終わりですから」

2階に取り残された住民の中には「死も覚悟した」という人もいた。平本さんらは、翌7日夜までに百数十名を救出したという。その一方で悲劇も起きていた。3人が逃げ遅れて亡くなっていたのだ。

「ショックでしたね。そのうちの一人は消防団時代の先輩で、筋ジストロフィーの難病を抱えていた人だったのです。自宅の1階で見つかりました。あとの2人は80歳を超えたお年寄りで、自力で2階へ逃げることができなかったようです」

◆SNSで支援要請

災害直後、避難所には支援物資が届けられず、住民たちは飲まず食わずの状態で2日間過ごすことになる。

「船木地区の被害が知られているのだろうか。『忘れられた被災地』になっているのではないか」

平本さんはフェイスブックを使って現状を発信し続けた。船木地区の惨状を見た人が次々にシェアしていく。8日午後には5千個のパンが届き、4トントラックで5台分の支援物資が送られてきた。

平本さんは床上浸水を免れた自宅入口にテントを張って緊急のボランティアセンターを開き、全国から寄せられる飲料水や衣類などの生活物資を避難所へ届けていった。
泥水を沼田川に排出するポンプが修復され、10日朝までに水が引き始めた。炊き出しも始まり、避難者からは「久しぶりにご飯を食べたわ」という声が聞かれた。

次は土砂の片づけとがれき撤去――。平本さんの呼びかけを見たボランティアが駆け付けてくれた。炎天下、家屋の床下から土砂をかき出したり、泥まみれになった冷蔵庫やタンス、食器棚などを運び出したり、復旧に向けての第一歩を踏み出した。

「多くの人に助けられています。心が温かく、幸せな気持ちになるのは分かち合い、助け合えるから」という平本さん。猛暑が続く中、褐色に焼けた肌が復旧作業の過酷さを物語っている。

豪雨被害から1カ月もたつと、避難者は疲れて怒りっぽくなったり、体調を崩したり、不安に陥ったりしているケースがあるという。

「床上浸水した年金生活者の多くが将来を見通せていません。年金額は月12万円で、いろいろ引かれて5万円ほどで生活しています。貯金があっても、泥まみれになった冷蔵庫や洗濯機などを買い替えなければならない。家をリフォームして自宅で暮らせるようになったとしても、再び災害に襲われるかもしれない。蓄えを使い果たして大丈夫か、という不安があるのです」

地区を歩くと、田んぼは土砂に埋まったままで、1階部分がむき出しになった家屋が点在している。高齢化も進み、再建をあきらめて出ていく住民も少なくない。(続く)

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