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西郷隆盛、青年期から繊細な一面 福井藩士への書簡にきめ細かい心遣い

9/19(水) 17:03配信

福井新聞ONLINE

 1857(安政4)年閏(うるう)5月3日に薩摩藩士の西郷隆盛が福井藩士の村田氏寿に宛てた書簡が、幕末明治福井150年博のメイン展示として9月22日に始まる福井県立歴史博物館(福井市)の特別展で全国で初めて公開される。両者の深い間柄とともに、福井藩が藩政改革の参考とした薩摩藩との技術・学術交流を裏付ける内容。西郷の青年期の書簡は貴重で、村田に対するきめ細かな心遣いからは繊細な一面がうかがえる。

 同館によると、書簡は福井藩士の子孫に当たる県外在住の個人が所蔵しており、作家で西郷隆盛研究の専門家の桐野作人さんが2010年に雑誌で掲載。西郷の手紙493点を収めた「西郷隆盛全集」(1976~80年刊行)には収録されていない。150年博に合わせて県が借り受け、複数の専門家から真筆との評価を得た。縦16センチ、横47・1センチ。

 村田は、薩摩藩主の島津斉彬への面会と軍事・教育施設の視察のため鹿児島を訪れ、西郷と面会。西郷の書簡はその翌日に記されており、斉彬への面会について「今日にはお達しがあるでしょう。主君の手元からの(直接の)お達しですので、ご伏蔵なく(隠し事なく)ご糺問(きゅうもん)(質問)してください」と受け入れる旨を伝えている。

 書簡には「ご面会して心のうちを打ち明けてしまい、かえって卒爾(そつじ=失礼)の至りです」「拝顔の折に(斉彬との面会を待たせたことを)陳謝いたします」と村田への敬意や気遣いが表れている。藩校明道館の教員だった村田は藩主松平春嶽の文事御相手(ぶんじおあいて)を務め、西郷も藩主側近の御庭方役として仕えていた。要職にあった2人の親密ぶりからは、両藩の深い結びつきもみてとれる。

 同館の大河内勇介学芸員は、1853年のペリー来航後、春嶽と斉彬はともに海防を強化して外国に対応する幕政改革を主張し、すでに交流があったと説明。斉彬と村田の面会でもこの話題が出た可能性があり、史料からは「心遣いの積み重ねで人間関係、藩同士の関係が築かれ、藩政が動いていく様子が分かる」としている。

 桐野さんは「当時の福井藩と薩摩藩、そして藩主同士の交流の一端がうかがえる」と評価。西郷は当時29歳でこれより以前の書簡は22点しか知られておらず、「この時期の西郷の動向が分かる貴重な史料」と指摘している。同館によると、西郷は、62年に流罪になった沖永良部島で書家川口雪篷に習った書体がよく知られており、それ以前の荒さのある書体を示す史料としても重要だという。

 特別展「幕末維新の激動と福井」は22日から11月4日まで開催。坂本龍馬が村田に宛てた花押入り書簡も全国初公開される。村田宛の書簡ではこのほか、吉田松陰や木戸孝允、大久保利通らによるものの複製展示もあり、県文化振興課は「左内や由利公正以外にも、他藩の先人たちと交流があった藩士として村田について注目が集まるきっかけになるのでは」としている。

福井新聞社

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