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ラグビーがつなぐ被災地と世界…W杯日本大会開幕まであと1年

9/20(木) 6:01配信

デイリースポーツ

 ラグビーの2019年W杯日本大会の開幕まで20日で1年となった。12の試合会場で、唯一新設されたのが釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムだ。2011年の東日本大震災による津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市の中でも、特に甚大な被害を受けたのが鵜住居地区。震災、復興のシンボルとして建てられた新しいスタジアムは、W杯を通じて“8年後”を世界に発信する使命を持っている。

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 青々とした空、濃い緑をバックに、白く広がった屋根が鮮やかに見えた。釜石鵜住居復興スタジアム。メインスタンドの上を覆う柔らかい曲線には、海に向かう船の帆、または、未来に羽ばたく両翼。そんな思いが込められていた。

 7月末に常設部分が完成。スタンドはメインとバックの計6千席のみで、両ゴール裏には何もない。木を主体とした簡素な作り。来年には1万席の仮設スタンドで四方を囲み、大型照明や大型ビジョンを仮設して、W杯仕様に変身する。

 8月19日にはこけら落としとして釜石シーウェイブス対ヤマハ発動機が行われた。W杯アンバサダーも務める釜石の桜庭吉彦GM兼監督は試合を控え「釜石の歴史を“つなぐ”。震災があった過去と未来を“つなぐ”。見にきた人の心を“つなぐ”。“つなぐ”をキーワードとして伝えてきた」と熱く語った。

 東日本大震災。鵜住居地区は死者・行方不明者586人という釜石市で最大の被害があった。同地区防災センターに避難した240人余りのうち200人以上が津波にのまれ、“釜石の悲劇”と呼ばれた。一方で釜石東中、鵜住居小の生徒は防災教育に基づいて迅速に行動。高台に避難した約600人の生徒に一人の犠牲者もなく“釜石の奇跡”と呼ばれている。ここには悲劇と奇跡が同居する。

 スタジアムが建設されたのは“奇跡”の小中学校の跡地。「かけがえのない場所。震災の記憶、経験、教訓を後世に伝えたい場所」と話すのは釜石市ラグビーW杯推進本部事務局の正木隆司総括部長。奇跡の地に立つスタジアムを復興のシンボルとして捉える思いだ。

 完成したスタジアムに目を細めるのは石山次郎さん。新日鉄釜石のV7戦士は震災後、NPO法人「スクラム釜石」を設立。W杯誘致も提案した。大成建設に再就職し、スタジアム建設の現場で働いてきた。

 「反対している人もいますから。住民全員が納得しているわけじゃない」。仮設部分も含めて総工費は39億円。お金を復興のために使うべきとの声もあった。寡黙な鉄人は喜びの声を発さず、穏やかな表情を浮かべた。

 観客席からはわずかに海が見える。リアス式の大槌(おおつち)湾の景観を隠すように、大きな水門と特大の防潮堤が建設中。スタジアム近くの旅館「宝来館」の女将・岩崎昭子さんは「安全な街を残したいがために高い防潮堤も水門もある。でも松林は残り、貴重な海浜植物のハマギクは岩場にビシッと群生している。ハマギクの花言葉は『逆境に咲く』と言うんです」と熱く語った。

 かさ上げされた土地に新しい道路が敷かれ、新しい家が建つ。不自然な新しさが、逆に津波の爪痕を思い起こさせる。そんな地区に作られたスタジアム。そこでW杯を行うことに意義がある。

 「私たちが来年見てもらう物語は一日、二日のW杯で評価してもらうのではなく、8年の歩みと時間の流れを、ここまで来たんだというのを見てもらうものだと思う」。岩崎さんは続けた。「ここは素晴らしい人たちの集まる原っぱです」。“原っぱ”で繰り広げられるのは1次リーグの2試合。熱い戦いを通して、釜石の今が世界に伝えられる。

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