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「変わらない何か」描き残す 若手画家、ニューヨークで勝負

9/20(木) 5:29配信

DANRO

米ニューヨーク市のブルックリンは、多くのアーティストが集まる街。かつては工業地帯でしたが、今やこの街のサンセットパーク地区が「世界で最もクールな街」に選ばれるなど、世界中から注目を集めています。

そんなブルックリンに住む日本人画家、倉田裕也(くらた・ひろや)さん(38)の作品がいま、海外で注目を集め始めています。倉田さんの作品は、Vice Magazineなどアメリカや香港、ヨーロッパなどのカルチャー雑誌で取り上げられたほか、ブルックリンの有名デザイナーズホテル「ワイスホテル」にも飾られています。

画家になる前は、ファッションやアートの世界で著名な米パーソンズ・デザインスクール(美術大学)のイラスト学科を卒業。華々しい経歴かと思いきや「グレるにグレ切れず、中途半端に生きていた」という倉田さん。彼を変えたアートという存在と画家という職業、そしてニューヨークで描きつづける理由について、話を聞きました。(富谷瑠美)

【写真】倉田さんが描いた、どこかなつかしさを感じさせる作品

自分を変えた美大の「ゲリラ卒展」

倉田さんは1980年、大阪府生まれ。父の転勤に伴い、小学校のときにアメリカへ移住しました。一度帰国したものの、高校から米マサチューセッツ州のNMHというプレップスクールに通うなど、人生の半分を海外で過ごしています。

――全寮制の高校から、ニューヨークの名門パーソンズへ進学されていますね。さぞやセレブな生活と思いきや、高校時代からグレていたとか――。

倉田:親が敷いたレールから外れたいと思っていました。父はコツコツ勉強してノースウェスタン大のMBAを取って、外資系製薬企業の役員にまでなった人。僕にもビジネスの道に進んでほしかったみたいでした。だけど、僕は当時流行っていた音楽やストリートカルチャーにはまって、高校時代から授業にもろくに出ず、しまいには高校卒業の数ヶ月前に退学になったりもしました。かと言って、まだ親のスネをおもいっきりかじっていたので、グレるにもグレきれず……矛盾の中で毎日をヘラヘラと過ごしていたと思います。

――著名なデザイナーやアーティストを多数輩出しているパーソンズに入ってからは、やる気を出したのでしょうか。

倉田:全然でした。ここでも怠け癖。パーソンズは出席日数について非常に厳しいのですが、深夜まで遊んで寝坊ばかりしていたんですよ。そうしたら、あるとき教授から「もうお前、卒展(卒業展示)出してやらない」と言われて。

――そうなると、卒業自体できないのでは?

倉田:そうなんです、今思えばただの卒展にすぎないんですが、当時は結構ショックでした。色々考えた結果、今はイラストレーションで活躍されている、遠山晃司さんと2人で「ゲリラ卒展」をやってしまうことにしました。

U-HAUL(ユーホール)というレンタルトラックの会社でいいサイズのトラックを借り、卒展の目の前に駐車してゲリラ展示スペースにしたんです。ジェネレーター(発電機)も借りて電気を引いて。これが大ウケして、本展より人が入り「スゴイ」と絶賛されたんです。「ああ、アイデア一つで、形勢逆転できるんだ。アートって、なんだかおいしいぞ」って思いました。

この卒展をきっかけに、現代アートに人脈の広い教授が声をかけてくれて、彼が主催するグループ展に出してもらえたんです。当時憧れていた作家も多く出展していたのでドキドキしました。彼がそうやって僕を誘ってくれなかったら、今は全く違うことをやっていたと思います。

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最終更新:9/20(木) 8:29
DANRO