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鎌倉幕府跡にマンション計画 世界遺産へ好材料「保護へ努力を」

9/20(木) 6:30配信

カナロコ by 神奈川新聞

 源頼朝が最初に鎌倉幕府を置いた「大倉幕府」の遺跡の埋蔵が確実視される神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目の民有地に、マンション建設計画があることが分かった。武家政権の物的証拠が不十分だと指摘され世界遺産登録を逸した鎌倉にとって、現場はその証拠が眠る文字通りの“本丸”。建設に伴う発掘調査が期待される一方、適切な保存がなされるか、懸念の声も上がる。

 現場は鶴岡八幡宮の200メートル余り東にある。数十年にわたり更地だったが、昨年8月に東急不動産(東京都港区)が取得。約2千平方メートルに地上4階、地下1階の共同住宅(33戸、高さ14メートル)を計画し、現時点で11月の着工を目指している。

 一帯は県埋蔵文化財包蔵地台帳に「官衙(かんが)跡」として記載され、今回のように地面を掘り起こす工事の前には文化財保護法に基づき、事業者による発掘調査が必要となる。2月に試掘が行われたが本調査は未定。

 日本考古学協会の馬淵和雄理事(中世考古学)によると、従来の研究でこの官衙跡が大倉幕府跡であると確実視されており「日本史上でも屈指の重要遺跡といえる」と説明する。

 特に注目されるのは、2千平方メートルという広さだ。4年前、同じ官衙跡の範囲内の土地(73平方メートル)から銅鏡などが出土し、特権階級の暮らしの一端を示した。「これほどの広さが更地で残っていたのは奇跡的で、大発見があるはずだ」と別の専門家は言う。

 世界遺産登録を目指した「武家の古都・鎌倉」を巡っては、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が、2013年に「不記載」を勧告。決定的な理由は「どこに頼朝が住み、執務したかが考古学的に証明されていないこと」(当時の近藤誠一文化庁長官)「武家の古都としての物的証拠が不十分と判断されたこと」(松尾崇市長)だった。

 開発を機に「証拠」への期待が高まる一方で、建設スケジュールが優先され、調査がおろそかになる懸念もある。日本女子大の古川元也教授(日本史)は「市の文化財当局は、時に開発部局と意見が対立してでも適切に保護、管理、活用できるよう努力すべきだ」と注文を付ける。

 市文化財課は「仮に教科書が書き換えられるような物が出土すれば、国や県とも相談し、保護や事業計画の変更も含め指導、監督したい」。東急不動産は「何か見つかれば予定通りには進まないだろう。市と相談したい」としている。

 一方、周辺の住民からは「狭い通学路に建設車両が入るのは危ない」「鎌倉らしい景観が失われる」などの声も上がっている。

 この「大倉幕府」を巡るフォーラムが、24日午後1時半から、同市御成町の鎌倉商工会議所ホールで開かれる。参加費500円、定員は先着順150人。問い合わせは、主催する大倉幕府跡地の保存・活用を考える会の卯月文さん電話0467(44)1423。

 ◆大倉幕府 3回位置を変えた鎌倉幕府のうち最初のもので大倉御所、大蔵幕府ともいう。1180年から45年にわたり頼朝、頼家、実朝の3代の将軍が邸宅を構え政務を行った。

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