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ロッテ福浦「遠い存在」だった同い年の前で偉業達成へ 西武戦で決めたい理由

9/20(木) 14:41配信

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芸術的なバットコントロールで1998安打は左前打

 背番号「9」らしい一打で残り2本とした。ZOZOマリンスタジアムで行われた9月19日のソフトバンク戦。スタンドの注目を一身に浴びた福浦は外角のストレートにバットを合わせると打球は三遊間の真ん中を抜けていった。この男の代名詞ともいえる流し打ちで決めた1998安打目。しかし左前への安打は本拠地で行った7月18日の東北楽天戦以来、約2か月ぶりだった。

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「反対方向への意識を持っていた。久々に反対方向に打つことができたね」

 0-0で迎えた2回2死一塁の場面。相手先発の松本裕と対峙した。外、外、内、内と攻められて迎えたカウント2-2。外角への140キロのストレートを打ち返した。見逃せばボールだったが、そこは流し打ち可能な領域として狙っていたゾーンでもあった。計算通りにおっつけると打球は広く空いていた三遊間の間を抜けていった。

「気持ちだよ。気持ち。あそこはもう一度、強く意識して打席に入っていた。インコースにも2球、投げられていたけど、どちらもたぶん逆球。基本的に外を攻められているという感覚があったので外への意識を持って待っていた。外のボールは流す方がヒットになる確率が上がると思っていた」

 体と心の感覚を微修正して打ち返した打球だった。左方向への流し打ちはこの2か月、打球が上がりフライになるケースが目立った。いい当たりもライナー性となりアウトとなっていた。スイングを見つめ返し、打撃映像を見直し、反省を繰り返した。言葉には表せない独特の感覚を頼りに日々、微修正を繰り返し、久々の一打につなげた。25年間で培った財産が生きた流し打ちだ。

忘れがたい2軍の初安打

 今でこそ意識して打つ一打も25年前はただガムシャラに打ち返すだけだった。1年目に投手から野手に転向。初の実戦はすぐに訪れた。94年7月23日、土曜日。ロッテ浦和球場でのイースタン・リーグ対横浜戦(現横浜DeNA)。それが福浦にとっての初の公式戦出場となった。数日前まで投手だった細身の選手の出番はなかなか訪れなかった。試合が終わろうとした9回1死一塁。古川慎一に代わる代打を告げられた。マウンドには友利結。必死に振った。ボールに食らいついたが、結果は浅いレフトフライに終わる。こうして野手としてのデビュー戦は終わった。

 その後は、一から鍛え直すという首脳陣の判断の下、10月までに出場した試合は5試合、6打席のみ。安打は生まれず、打点は併殺崩れの1打点のみ。出塁も四球が一つのみ。投手から転向したばかり。プロ野球は2軍とはいえ、甘くはなかった。

「とにかく練習をした。させられたというのが正しいけどね。あの時は本当にバットを振ったなあ」

 本人が振り返るように練習の日々が始まった。チーム全体練習前に朝練の特打。試合後も特守に特打。寮に戻ってもバットを振った。遠征先での試合を終えヘトヘトとなり疲れて寮に戻ってきた際も室内で特打を命じられた。野手としての遅れは歴然。少しでも一人前になるべく、とにかくバットを振って、ノックを受けた。

 1年目のイースタン・リーグ最終戦となった10月8日。忘れもしないベイスターズ球場での横浜戦。マウンドには初打席の対戦と同じく友利。ストレートに振り遅れないように、早めにバットを始動させると打球は右中間を抜けていく二塁打となった。1軍の華やかな舞台で放った1998安打のすべてが思い出深いものだが、ほとんど観衆がいない中で記録した1998本にはカウントされない2軍での1本も忘れがたい。確かに、なにか打者としての一歩目を踏み出せた気がしたそんな安打だった。

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最終更新:9/20(木) 21:35
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