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電通マンが公務員になって気づいた「共通する仕事観」とは?

9/24(月) 11:16配信

リクナビNEXTジャーナル

地方の広告代理店から東京の大手広告代理店、電通へと転職したのち、Uターンして地方公務員になった荻田聖久さん。異色のキャリアチェンジを経て、荻田さんが考える仕事とは、これまで培ったスキルの生かし方をお伺いしました。
荻田 聖久さん
静岡県富士市生まれ。信州大学繊維学部感性工学科卒業。長野県と東京の広告代理店で8年間にわたる民間企業勤めを経て、2013年富士市役所に入庁。現在は富士山・観光課に所属し、富士山麓地域の光るモノゴトヒトを多くの人に観てもらうべく、公務にあたる傍ら、市内まちづくり団体の企画アドバイザーや、まちおこしイベントを開催するなど、公私ともに富士市の振興に携わっている。

長野県の広告代理店から、東京の電通へ

――どうして広告代理店に就職したのですか
そもそもは服飾デザインをやりたくて、繊維学部のある信州大学に入学しました。専攻した感性工学は、人の心を知ってプロダクトデザインに反映させるといった学問です。例えば、人が服を着た時に素材によってどのような感覚を得るかといったことをモノづくりに生かすわけです。いわゆるマーケットインのモノづくりですね。
しかし、いいモノをつくってもそのよさが伝わらなければ売れません。しだいに「どうやったらよさを伝えられるか」、「どうやったら人の心が動くのか」ということに興味が移っていきました。ゼミの担当教授が広告代理店の元社長という経歴だったので、広告プロモーションや、キャッチコピーのつくり方、キャンペーンの組み立て方などを学ぶことができました。そして長野県の広告代理店に就職するに至りました。
――その後、電通へ転職していますね
長野の広告代理店では、長野県全体の大きなプロモーションの仕事から、地元新聞の小さな葬儀欄までさまざまな仕事を2年間経験しました。いずれも売るべきモノゴトヒトの距離がとても近く、まさに地域密着型でした。
転機となったのは、長野県のサッカークラブ「AC長野パルセイロ」の仕事です。当時はまだ北信越の地域リーグ所属でしたが、Jリーグ入りを本格的に目指すことになり、ユニフォームの胸広告のスポンサー獲得や試合の運営などに携わりました。当然、潤沢な予算はなく、自分たちが持っているリソースでなんとかするしかありません。頭を使い、自分の手を動かして形にするという毎日で、僕がスタジアムDJをやったりもしました(笑)。
おかげさまで広告スポンサーも得て、地元のサポーター組織も徐々に拡大。地域を巻き込むスポーツビジネスの面白さにハマり、もっと広い視野でこの仕事をしたいと考えるようになりました。そんな折、東京の大手広告代理店である電通で「サッカービジネスの経験がある人材を求めている」と知り、転職しました。

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