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人間的な、あまりに人間的な。大杉漣の全身全霊

9/26(水) 7:10配信

dmenu映画

今年2月に急逝した大杉漣、最後の主演作『教誨師』が10月6日より公開される。

多くの映画を支え、多くの映画人に必要とされ、多くの観客に愛された俳優。それだけについ感傷的な気持ちでスクリーンを見つめてしまうかもしれない。だが、本作が彼にとって最初のプロデュース作品であることを想起するならば、涙は無用だ。この映画における大杉漣の勇姿は、徹頭徹尾「現在進行形」である。大杉漣は大杉漣にしかできないことを、ここでやり遂げている。

相手を受けとめるということ

教誨師(きょうかいし)とは、刑務所や少年院などで、被収容者の希望に応じ、宗教教誨活動を行う宗教家のこと。神の教えを説くことで、罪人が自身の罪に向き合い、新しい生を生きる。そうしたことが目標のひとつだが、孤独を余儀なくされている受刑者たちにとっては、ただの話し相手であることも少なくない。

本作の主人公、佐伯保はプロテスタントの牧師。彼は月に2回拘置所を訪れ、個性豊かな6人の死刑囚たちと面会の時間をもつ。映画は、そのほとんどを佐伯と死刑囚とのやりとりを描写することに費やす。つまりこれは、対話だけを軸にした密室劇だ。

マンツーマン。1対1の言葉と表情の交通。そこに焦点を絞っているからこそ、大杉漣の俳優としての資質も、実に明瞭に立ち現れる。

まず、大杉漣は相手の話を「よく聴く」俳優だ。相対した者の気持ちを受け取ろうとする丁寧な姿勢が、その芝居から感じ取ることができる。自分から語りかけるのではなく、まず相手を受けとめ、自分なりに咀嚼した上で次の能動に移る。

これは教誨師がそういう仕事だから、ということには留まらない。佐伯保という人物がそういうキャラクターだから、ということでは説明がつかない。

ひとりの死刑囚の話に耳を傾けている大杉漣の顔つきを、まずは見つめてほしい。ときに慎重な、ときに神妙な、その相貌には、大杉漣ならではの丁重さがある。わたしたちはこの顔を、映画やドラマで何度も見てきたはずだ。

もしかしたら「紳士的」あるいは「包容力豊か」と形容されてしまうのかもしれない。だが、大杉漣の物腰はスタイリッシュだったり、ある強さを保ったものではない。どこか控えめで、もっと言えば自信なさげで、ある弱さを湛えたものである。

だから柔らかいし、わたしたちに、わたしたちと同じ地平にいる同じ人間なのだと思わせてくれる。いい意味で、油断させてくれる。それが俳優、大杉漣である。

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最終更新:9/26(水) 7:10
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