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ことわざに登場する「宝」が表すもの

9/30(日) 20:30配信

MONEY PLUS

ことわざや慣用句の世界には「宝」という言葉がよく登場します。ぱっと思いつくところでは《宝の持ち腐れ》。この表現に登場する「宝」とは、狭義には「経済的価値」を示しているとも言えますし、広義には「何か役に立ちそうな物事」を示しているとも言えます。例えば「技量」でしょうか。せっかく外国語を喋れるという技量を持っているのに、外国に行ったことがないという状況も《宝の持ち腐れ》と言えそうです。

このようにことわざに登場する宝物は、単純な経済的価値だけではなく、何か別のものを表すこともあります。そこで本稿では「宝が登場することわざ」を取り上げてみましょう。紹介することわざから、日本語の世界観における「宝物」の姿が見えてくるかもしれません。

経済的価値を意味する「宝」

本題の前に、まず「経済的価値」を表す事例を紹介しましょう。

例えば《富は一生の宝》は、そのまま、財産は一生の宝物であることを意味しています。ただしこのフレーズには続きもあります。その続きについては、後ほど紹介することにしましょう。もうひとつ《宝は身の差し合わせ》ということわざもあります。これは財産を持っていれば、急場に身を救う存在になることを意味します。これも宝=経済的価値という構造です。

ただ経済的価値を意味することわざのなかには、宝を通じて何かを「いましめる」構造の表現もあります。例えば《隣の宝を数える》、《人の宝を数える》も、戒めのことわざたち。これらは、なんにも役に立たない無駄な行為をいましめています。

また《財宝は地獄の家苞(いえづと)》ということわざもあります。家苞とは、家に持ち帰るおみやげのこと。したがって、地獄の家苞とは「地獄への手土産」ぐらいの意味になるでしょうか。これを踏まえて全体を解釈すると「この世で蓄えた財産も、ひとたび死ねば、地獄の手土産にしかならない」となります。これは蓄財の虚しさを語ったことわざなのでしょう。

ともあれ、ことわざに登場する「宝」の中には、ストレートに「経済的価値」を語ったものも確かに存在するのです。

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最終更新:9/30(日) 20:30
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