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遺族ら180人思い出語り合う 美術家・宮崎進「偲ぶ会」

10/4(木) 14:52配信

カナロコ by 神奈川新聞

 今年5月に96歳で亡くなった美術家、宮崎進(しん)を追悼する「宮崎進先生を偲ぶ会」が9月24日、東京都の学士会館で開かれた。教壇に立った多摩美大の教え子らが中心となった同会実行委員会の主催。画家仲間や美術関係者、遺族ら約180人が参加し、思い出を語り合った。

 祭壇に飾られた穏やかな笑顔の遺影は、県立近代美術館葉山での個展「立ちのぼる生命」を控えた2014年の春、鎌倉市小町のアトリエで本紙の取材に応えた際のもの。晩年に患ったパーキンソン病のため、会話は不自由だったが胸の内の熱い思いは伝わってくるものがあった。

 葉山町在住の画家、奥谷博は「よく撮れている。こんなふうにニコニコして、目で話していた」と在りし日を懐かしんだ。

 同館の水沢勉館長は、日本代表として参加した04年の国際美術展サンパウロ・ビエンナーレにまつわる思い出を披露。「大きな社会の流れの中で、芸術に関わる者が創作にどう向き合っていくのかについて、いつも穏やかにメッセージを発していらした方だった」と振り返った。

 宮崎は1990年代から、4年間のシベリア抑留体験を元にした造形作品を発表。抑留中に使用を許されていた麻布などを使い、極限状況における人間のしぶとさや命の輝きを表現し続けた。

 NHKの美術番組収録をきっかけに交流をもった山根基世アナウンサーは、シベリア抑留について「『今でも僕の中にあって、消すことはできない。世に伝えなければ、今生きている意味がない』とおっしゃっていた。その言葉に胸を打たれ、画面から流れてくるエネルギーに圧倒された。人の心を動かすものはその人の思いの深さ、志のようなものだと身をもって教えていただいた」と話した。

 「生きている限り、先生の生き方をまねて生きていきたい」とは、画家の野田弘志。多くの人々に影響を与えた宮崎。参加者らはそれぞれに別れを惜しんだ。