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かつては海が目の前にあった「品川駅」 失われつつある潮風の記憶

10/5(金) 0:10配信

DANRO

かつては車窓から海が見えた品川

窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上総か房州かーー。

【画像】東海道線が海の上にあった頃の地図

1900年(明治33年)に発表された「鉄道唱歌」の一節です。 鉄道唱歌の第1集東海道編は、新橋から神戸まで66番も続きますが、そのうち品川が登場するのは3番で、車窓から見える海や山の景色について歌われています。

このメロディーを聴くことができるのはJR品川駅。東海道線ホームでは、鉄道開業130周年を迎えた2002年から、発車メロディーに「鉄道唱歌」が使われています。

日本初の鉄道は、1872年10月14日、新橋~横浜間で開業しました。これにちなんで10月14日は「鉄道の日」に制定されていますが、実はその4か月前に、品川~横浜間で仮開業していたことはあまり知られていません。品川は日本の鉄道発祥の地だったのです。(枝久保達也)

海の上を走った東海道線

現在は品川の車窓から海の気配を感じることはできませんが、「鉄道唱歌」が発表された頃の海岸線はいまより2キロメートルも内陸側にあり、品川駅のすぐ脇まで東京湾が迫っていました。

それどころか鉄道開業当時、品川駅から新橋駅手前まで約3キロメートル弱の区間の線路は、東京湾の海の上を走っていたのです。海の上に線路を敷設したのには理由があります。

今では文明開化の象徴とされる鉄道ですが、最初から歓迎されていたわけではありません。軍事力増強を求める兵部省(軍)は特に鉄道建設に反対し、海岸沿いの用地の引き渡しを拒み、旧薩摩藩邸のあった高輪付近では測量さえ許可しませんでした。

陸地を使わせてもらえなかった鉄道は、やむを得ず沖合50メートルほど先に築堤を築き、その上に線路を敷設することになったのです。

線路をくぐって漁に

現在の品川駅から田町駅に至る一帯は、かつては徳川将軍家に献上する魚介類が水揚げされた漁師町でした。田町駅から200メートルほど北にある本芝公園は、落語「芝浜」の舞台としても知られる魚市場「芝金杉雑魚場」の跡地です。

東海道線は、この伝統ある漁師町と市場を、海岸線ごと内陸に閉じ込めるように海上に建設されました。このため、漁業を保障するために、線路をくぐって東京湾に出るための水路が設置されました。

明治末頃になると、付近は住宅地、工業地として徐々に埋め立てられていきますが、この船溜まりを拠点とした漁は、1962年に漁業権が放棄されるまで戦後も細々と続きます。

江戸時代の海岸線が残る最後の場所と言われたこの地も、1970年頃についに埋め立てられ、水路は東海道線の線路下を東西に結ぶ歩道に転用されました。

地下鉄泉岳寺駅のすぐ近く、高さ制限1.5メートルの東京一低い道路として知られる高輪架道橋ガード下も、元々は船溜まりと東京湾を結ぶ水路でした。約230メートル続く長いガードの上にはJRの車庫が広がっています。

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最終更新:10/5(金) 0:12
DANRO

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