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<元横綱・輪島死去>後輩、元力士ら 名横綱を悼む

10/9(火) 21:02配信

毎日新聞

 8日死去した大相撲の元横綱・輪島大士の輪島博さんは、不祥事で日本相撲協会を去ってからも、角界や後輩力士への愛情を持ち続けた。同世代の元力士らからは、名横綱を悼む声が相次いだ。【飯山太郎、真下信幸】

 ◇高田川親方「大きな方だった」

 現在、幕内で活躍する輝(24)は、輪島さんと同じ石川県七尾市の出身。ここまでの最高位は前頭4枚目だ。師匠の高田川親方(51)=元関脇・安芸乃島=は「もう少し長生きしていれば、輝がもっと上で取る姿を見せられたかもしれない」とその死を惜しんだ。

 輪島さんの遠縁にあたる輝が2014年秋場所後に十両昇進を決めると、高田川親方は輪島さんに輝の下のしこ名を「大士」に改めたいと相談した。ところが、高田川親方は読みを「たいし」と勘違い。輪島さんから「『ひろし』と読むんだよ」と教えられた。「輪島さんは『それでいい』と言ってくれた。大きな方だった」と高田川親方は懐かしむ。

 輪島さんは東京都江東区の高田川部屋も度々訪れた。13年に咽頭(いんとう)がんの手術で声を失ってからは、筆談で思いを伝えた。昨年春場所前の食事会では、輝に「もっと下半身を鍛えろ」「階段を走れ」などと書いてアドバイスした。高田川親方は「輝の出世が恩返しにつながる」と胸に刻んでいた。

 ◇元横綱・三重ノ海「番外な人だった」

 元横綱・三重ノ海の石山五郎さん(70)は「輪島さんはホテルから部屋に通うなど大相撲では番外な人だった」と話す。輪島さんとは同い年。15歳で初土俵を踏んだ石山さんは、学生出身の輪島さんに「負けられないと思った」という。引退後は酒を酌み交わすこともあった。2年前に名古屋市で顔を合わせたのが最後で「食事でも行こうと言ったのに」と残念がった。

 同じ二所ノ関一門の後輩で輪島さんのマッサージをしたことがある千賀ノ浦親方(57)=元小結・隆三杉=は「体に触れられるだけで光栄だった」。輪島さんは千賀ノ浦親方の歌のうまさを耳にしており、「五木ひろしさんが好きだと言ったら『強くなったら会わせてやる』と言ってくれた」。1981年初場所で新十両になると、「約束通りディナーショーに連れて行ってくれた」と、華やかな交友関係を築いていた輪島さんを懐かしんだ。

最終更新:10/9(火) 21:02
毎日新聞