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「ガ死ダ 食モノナシ」 日記を残して餓死した父を追って、息子は忘れられた南の島に飛んだ

10/9(火) 18:11配信

BuzzFeed Japan

忘れられた島

南太平洋に浮かぶマーシャル諸島はかつて、日本の委任統治領だった。太平洋戦争中、その地に配属された日本兵への補給は途絶え、米軍だけでなく飢えとも闘うことになった。

戦前の硫黄島を収めた貴重な写真たち

痩せた土を耕し、なんとか生き延びようとする凄惨な日々を日記につづり、1945年4月26日に餓死した兵士がいた。佐藤冨五郎さんだ。

享年39歳。宮城県出身で、東京でバスの運転手を務めていたが、1943年に赤紙が届いた。妻子を残し、海軍一等兵曹としてトラック諸島に向かった。【BuzzFeed Japan/貫洞欣寛】

「ガ死ダ 食モノナシ」

「病死ハ絶対ニシナイゾ」「ガ死ダ 食モノナシ」という悲痛な文章が残る手帳と日記帳は、戦友の手で戦後、奇跡的に宮城県の遺族の元に届けられた。

出征した冨五郎さんと2歳で生き別れた長男の勉さん(77)はずっと、日記を解読したいと願い続けてきた。大切に保管してきたが、薄く固い鉛筆でびっしりと書かれているうえ紙質も劣化し、ほとんどの部分は読めないままだったのだ。

だが、どうすればいいのか分からない。

2005年、仙台市近郊に暮らす勉さんは、長く務めていた企業を退職し、地元で各種のボランティア活動を続ける傍ら、タクシー運転手に転職していた。

理由があった。

タクシーではよく、仙台にある東北大学などからの電話予約が入る。「古文書を読める大学の先生ならば、解読してもらえるかもしれない」。そう思い、大学からの予約を引き受けては、解読を頼み込んだのだ。何人かに断られた。

動き出した時計

2005年7月17日。

東北大文学部からタクシーの予約が入った。

仁平義明教授(その後、白鴎大教授を経て現在は東北大名誉教授)だった。多忙で日曜日も研究室に出向き、仕事をしていたのだ。

「自分が行きます」。勉さんは無線のコールに答えて東北大に向かい、仁平教授を乗せた。

仙台駅に向かう道中、勉さんは「実は、父が戦地で残した日記のようなものがあるのだが、読むことができない。先生、なんとか解読できないでしょうか」と切り出した。

仁平教授の兄も東北大で国文学を研究している。そこの研究生ならば読めるだろうかと思い、引き受けた。

教授は勉さんから送られてきた2冊を子細に調べた。全43ページのうち、肉眼で読み取れる部分を解読そ、その内容を論文にまとめて発表した。

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最終更新:10/10(水) 8:27
BuzzFeed Japan