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【輪島さん追悼】和田京平氏「ある意味革命だったプロレスデビュー戦」

10/10(水) 16:33配信

東スポWeb

 輪島さんの訃報に接し、全日本プロレス名誉レフェリーの和田京平氏(63)は「誰からも好かれる人だった。練習嫌いなんてとんでもない。横綱まで行った人が、文句も言わず若い選手と一緒にスパーリングで『かわいがり』を受けてるんだから頭が下がった。何事にも一生懸命な人だった」と語る。

 米国修行時代は洗濯物を天井のスプリンクラーにつるし、火災報知器が鳴って部屋中が水浸しになるなどエピソードは尽きない。「(故ジャイアント馬場さん夫人の)元子さんが米国でプロテインを渡したら、食事だと思って夕食に1袋(1キロ)平らげちゃってね」

 巡業先ではリングのコーナーでテッポウの練習を繰り返したが、誰かがふざけて「横綱大変だ。鉄柱が右に曲がりました!」と告げると、鬼の形相で左に戻るよう鉄柱を張り続けた。「もちろん最初から曲がってませんよ。あれはおかしかったなあ」と振り返った。

 また、タイガー・ジェット・シンとのデビュー戦(1986年11月1日)は日本テレビの特番としてゴールデンタイムで放送された。「デビュー戦ですよ。二度とないでしょう。プロレス界ではある意味『革命』だった」と故人をしのんだ。

 大日本プロレスのグレート小鹿会長(76)は当時、プロモート業も兼任するベテランだった。輪島さんはプロ入り直後にもかかわらず、日大相撲部出身のコネクションを生かし「○○市だったら僕が関係者を紹介しますよ」と気遣ってくれた。

 わずか2年半でプロレスを引退したことについてはこう分析する。「馬場さんは気に入った人間は囲って他人に渡さないんだ。ジャンボ(鶴田さん=故人)がそうだった。ジャンボは馬場さんの手の上で育って大きくなったけど、輪島は横綱まで行った人間。のびのびやりたかったんじゃないか」。そして「早すぎるぞ、このバカヤロー!」と叫んだ。

 元十両で元ノア社長の田上明(57)は練習生時代に輪島さんの故郷、石川・和倉温泉で行われた合宿に何度も同行。「あの人、昼食は必ずそば屋でさ。毎日毎日そばでまいったよ。1週間同じ食事って結構つらいぞ。懐かしいなあ…」と思い出を語る。田上の十八番、ノド輪落としは輪島さんのゴールデン・アームボンバーが原型だった。

 またこの合宿に参加した元ノアの鉄人・小橋建太(51)は「馬場さんは輪島さんに対して厳しかった。生半可な気持ちでプロレスに来るなという気持ちだったのでは。輪島さんもそれに応えようとしていた」と証言する。巡業中、新弟子は出発の1時間前に待機するのが決まりだったが、小橋は輪島さんからマッサージを頼まれて遅刻。先輩に怒られたこともあった。「一からプロレスをやろうとしている姿を見ているから、今はすごく残念な気持ちだよ」

 残された人々にあまりに多くの記憶を残して輪島さんは帰らぬ人となった。

最終更新:10/10(水) 16:44
東スポWeb