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「権田金属工業、創業100周年」〈権田源太郎社長〉=「良品共栄」の理念で発展

10/10(水) 6:03配信

鉄鋼新聞

 銅・黄銅棒やマグネシウム板材を手掛ける権田金属工業(本社・相模原市中央区)は創業100周年を迎えた。災害や戦災を乗り越えつつ時代に合った高品位素材を供給し続けており、今後も事業の幅を広げながら社会の要請に応える。同社の歴史や今、今後の成長戦略について権田源太郎社長に聞いた。(古瀬 唯)

――100周年を迎えた所感から。
 「祖父の権田藤三郎が社会貢献の意思に燃え1918年に地金商から黄銅棒メーカーに商いを変えたのがスタート。横浜の地で手探りでモノづくりを始め、先々代・先代が震災や戦災など、さまざまな苦難を乗り越えて今がある。一世紀にわたって支えていただいた顧客の皆さんや、従業員に深く感謝をしたい」
――ターニングポイントとなった出来事は。
 「戦前・戦中に三度、存亡の危機に立たされたが決して諦めなかったこと。事業が軌道に乗り始めた1922年には台風で工場の屋根が吹き飛ばされ、翌年には関東大震災で壊滅状態になった。債権者に協力を得て再建し、高品位な製品が認められ海軍の指定工場にもなったが、45年には空襲で被災。終戦時には工場と大口顧客を失っていた。撤退も考えたが、当社の製品が欲しいという声が市場から上がり再起を果たした」
――戦後も順調に成長を続けてきました。
 「戦後は2代目社長である父の忠志が朝鮮戦争後の不景気の際に、苦境の中でも新たな商機を求め反射炉を導入したことが大きな転機。その際に手掛け始めた銅棒やブスバーは現在の事業の礎だ。また工場があった横浜駅近辺の商業開発で、60年代に現在の相模原市に移転したこともターニングポイントになった。広い土地の確保で経済成長に合わせた生産拡大ができたほか、工場跡地に設けた商業施設は経営を下支えする安定的な収益源になった。私は務めていた商社から83年に社長として家業に転じ、成熟市場の中でも成長軌道を描くため加工品事業の強化や新規事業の創出に取り組んできた」
――新規事業ではマグネシウムの板材に取り組んでいます。
 「マグネシウムは資源が豊富で実用金属として最軽量なため需要増が見込まれる。また現有の設備・技術の活用が可能なことも利点だった。2002年から研究開発を始め、ロールの間に溶湯を通し、板を形成する双ロール鋳造法に関する特許を取った。当社の製法は生産性が高く、強度と耐食性に優れるAZ61などさまざまな合金の薄板を製造できる。07年には量産工場を竣工し、12年ごろには減圧環境下で厚板を製造する反重力鋳造法の技術も確立した。現在は建材や電池材料、熱処理に使うリフローパレットなどを手掛けている。また新構造材料技術研究組合の鉄道向けの開発プロジェクトにも参画している」
――現在の特長や競争力は。
 「銅や黄銅の丸棒では培ってきた技術が生きる太物が得意。真円度や真直度、表面品質に優れる当社の太物丸棒は、顧客が部品に加工する際の生産性を高めている。また需要が増えつつある無酸素銅製品を高効率に製造できることも強みだ。加えて充実した検査設備による品質力や、人員体制を厚くして高めた研究開発力も特長。さらにマグネシウムについても多彩な技術を有している」
――今後力を入れる施策は。
 「今後の内需は横ばいか微増で、リーマンショック前の水準まで戻すのは難しいだろう。その中で成長するには現有の市場・製品でシェアを維持しつつ、新たな挑戦をすることが重要。今後は銅・マグネシウムともに個々の引き合いを大切にしながら、さらなる用途開拓を進める。また複雑な形状を成形する型打ち鍛造品で大型のものを増やし、エネルギー関連の成長需要などを捕捉したい。併せて高付加価値化・顧客とのタイアップを進めながらさらに川下の加工も模索するほか、横浜の工場跡地のビルを建て替えて耐震性や資産価値を高める」
――最後に、目指すべき企業像と実現に向けた方策について。
 「先代は良い品を世に出し、顧客・仕入先・地域とともに繁栄する『良品共栄』の理念を掲げた。伸銅業で良品を製造するには機械操作のノウハウが重要。四者が今後より発展するため、品質を高める人づくりに力を入れ続ける。また品質方針であるSST(サービス・スピード・テクノロジー)に沿って、顧客満足度の向上や明日を築く研究開発にもさらに注力する」

最終更新:10/10(水) 6:03
鉄鋼新聞

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