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現場は極寒、弁当も凍った。佐々淳行さんが捜査を指揮した「あさま山荘事件」

10/10(水) 19:38配信

BuzzFeed Japan

警察庁出身で、内閣安全保障室の初代室長を務めるなど危機管理の専門家として知られた佐々淳行氏が老衰のため死去した。87歳だった。【吉川慧 / BuzzFeed Japan】

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佐々氏は東大法学部卒業後の1954年、警察庁に入庁。外事・警備畑を歩んだ。

1972年2月の「あさま山荘事件」では、当時の後藤田正晴・警察庁長官の下で現場を指揮した。その後、三重県警本部長や防衛施設庁長官などを歴任。1986年、内閣安全保障室の初代室長に就任した。

退官後は危機管理や安全保障の専門家として活動。2007年の東京都知事選挙では、3選を果たした石原慎太郎氏の選対本部長を務めた。

日本中が見つめた「あさま山荘事件」

1972年2月19日、武装闘争による共産主義革命を掲げた過激派「連合赤軍」のメンバー5人が長野県軽井沢町にあった河合楽器の保養所に逃げ込んだ。

5人は管理人の妻を人質にとって籠城。警察は山荘を包囲し、10日間におよぶ攻防戦がはじまった。

あまりの寒さに、弁当も凍った

現場は、雪深い真冬の南軽井沢。気温が氷点下10度になることもあった。山荘の屋根には、何本ものつららができていた。

あまりの寒さに、捜査関係者の弁当や靴も凍ったという。

機動隊員らは日清食品の「カップヌードル(1971年発売)」を頬張った。その姿がテレビに映ったことで、一気に知名度が高まったとされる。

母親の説得、犯人は銃を発砲

犯人の母親も説得のため現場を訪れた。「武器を捨てて出てきてね」。拡声器で呼びかける肉親の声に5人は応答せず、それどころか銃を発砲することもあった。

立てこもり10日目、警察が突入

立てこもりから10日が経った2月28日。警察は人質救出のため、突入を決断。鉄球で山荘の外壁を破壊。高圧放水で制圧しつつ、催涙弾を打ち込んだ。

追い詰められた5人はライフルや猟銃、爆弾で反撃した。

作戦開始から8時間超。犯人5人は全員逮捕され、人質も保護された。

一方で、犠牲者も出た。事件解決までに、警察官2名と山荘に近づいた民間人1人の計3人が死亡。TVカメラマンを含む27人が負傷した。

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最終更新:10/10(水) 19:41
BuzzFeed Japan