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童顔に秘めた「鬼」の教え 千賀ノ浦親方という人

10/11(木) 17:37配信

時事通信

◇現役時代は「ドラえもん」
 大相撲の貴乃花部屋が元貴乃花親方の退職で消滅し、力士ら10人が千賀ノ浦部屋へ引き取られた。にわかに脚光を浴びることになったのが千賀ノ浦親方(57)=元小結隆三杉、本名金尾隆=だ。まだ難題も続くが、現役時代に「ドラえもん」と呼ばれた童顔に「土俵の鬼」の教えを秘めて、弟子たちを導こうと考えている。

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 東京都台東区の千賀ノ浦部屋。貴乃花部屋の力士らが引っ越して来た当初は報道陣が詰めかけたが、数日して幾らか静かになってきた。力士たちは四股などの基礎運動に続いてぶつかり稽古をした後、申し合いを始める。千賀ノ浦親方は一人一人に合ったアドバイスを送る。

 「自分はもともと知っている子たちだし、最初に一緒に食事に行ったりして、思ったより早くなじんでくれている」

 元貴乃花親方から退職を知らされ、弟子たちのことを頼まれた時は「突然でびっくりした」というが、師匠がいない力士は土俵に上がれない。迷う間もなく受けた。保護者たちとも連絡を取り、一生懸命育てる決意を伝えているという。

 2年前に部屋を持ったのも突然だった。春日野部屋の力士だった元関脇舛田山が2004年に独立して創設した千賀ノ浦部屋。先代の定年退職に当たって後継者選びが難航し、貴乃花部屋付きだった常盤山親方(当時)に話が来た。

 引退から20年余たっていた。「部屋を持つなんて考えていなかったからびっくりした。でも先代の定年まであと2、3日しかなくて、時間がないと言われて」。参与として日本相撲協会に残る先代と年寄名跡を交換し、千賀ノ浦部屋を継承。稽古の仕方なども違って戸惑ったが、自分の方針で指導をして2年たった。

 川崎市出身で、この世界に入ったのは中学卒業直前。「土俵の鬼」こと元横綱初代若乃花の二子山部屋に、おじの知人の高麗山という力士がいたのが縁だった。相撲経験はなかったが体が大きかったため、誘われて部屋を訪ね、「気がついたら二子山部屋で寝ていた。勉強も好きじゃなかったし」と1976年春場所で初土俵を踏んだ。

 押し相撲向きの丸い体で最盛期は160キロ。70年代後半から80年代の二子山部屋は貴ノ花(初代)、若乃花(横綱2代目)、隆の里、若嶋津(現二所ノ関親方)、太寿山(現花籠親方)、若獅子、飛騨乃花ら関取衆が多く、放駒部屋から大乃国(現芝田山親方)も出稽古に来た。体の大きな押し相撲は貴重だったので、兄弟子たちの稽古相手として繰り返し土俵へ引っ張り出された。師匠も素質を見抜き、ちゃんこ番(稽古中に食事の支度をする当番)もあまりさせずに鍛えた。

 幕下時代、隆の里と若三杉(後の横綱2代目若乃花)から「隆三杉」の四股名をもらう。81年初場所、19歳9カ月で新十両。同年名古屋場所で新入幕と、出世は早かった。その後は押し相撲の宿命でもある首のけがや、当時は足腰が強く個性的な力士がそろっていたこともあって、新三役まで10年かかったが、幕内を71場所務めた。

 稽古場によく「金尾!  押さんか押さんか!」と師匠の野太い声が響いていた。あまり褒められた記憶はないというが、「親方は一人一人をよく見ていた。相撲も体調も、性格も生活もよく知っていた。『ゆうべ遅かっただろう』とか言われて、何で知ってるんだろうと(笑)」。それは今、弟子を預かる立場になって、教訓として肝に銘じている。

◇顔も体も性格も丸い
 1年早く入門した若嶋津、太寿山の2人とは年齢も近く、切磋琢磨しながら夜もよくそろって出掛けた仲良しトリオ。おっとりした隆三杉は末っ子のような存在だった。食が細くて太りにくいのが悩みの若嶋津は、大食漢の2人と一緒ならつられて食べるようになると思ったという。

 隆三杉には、焼き肉を75人前食べて、あごが疲れたからやめた「伝説」がある。本人に確かめると「あの時は、60人前は食べていた。3日続けて焼き肉を食べて、歯茎が腫れてこっそり稽古を休んだこともある。(太るのに苦労していた)若嶋津関に胃袋を半分分けてやりたいと思ったよ」。

 歌にも定評があり、仲間内では若い頃から知られていた。五木ひろしのファンで、序二段の頃に同じ二所ノ関一門の横綱輪島にマッサージを頼まれ、「歌がうまいらしいな。五木ひろしの歌を歌いながらもめ。強くなったら本人に会わせてやる」と言われた。4、5曲歌いながらマッサージをして、十両に昇進してからディナーショーに連れて行ってくれたという。

 元関脇太寿山の花籠親方によると「顔も体も性格も丸い。宴会部長だった」。福祉大相撲などでは力士歌合戦の常連で、レコードも出している。

93年に師匠の定年退職に伴い、弟子らは元大関貴ノ花の藤島部屋へ合流。藤島親方が二子山を名乗り、隆三杉は新たな二子山部屋の力士となって95年に引退した。

 引退後は二子山部屋付きの親方になり、貴乃花部屋になってからも引き続き後進の指導に当たった。このため元貴乃花親方の一門離脱以来、行動を共にしてきたが、関係者は「部屋に残った時のいきさつでそうしていただけではないか」という。縁を切るよう促した親方もいるが、「会っても貴乃花親方の話はせずに昔のまま付き合っていた」親方もいる。

 千賀ノ浦親方は多くを語らず、元貴乃花親方については「普段一緒にいる時は、朗らかで真っ直ぐな男。外へ出るとちょっと構えちゃうけど」と話した。

 貴ノ岩が元日馬富士を相手取って起こした訴訟などもあり、まだ難しい問題は続くが、部屋を持った経験のある花籠親方はエールを送る。

 「去年も今年も、名古屋で二所一門の連合稽古に隆の勝を連れて来て、熱心に教えていた。隆の勝が強くなってきて、指導(のおかげ)かなと思っていた。定年まで7年半。あまり長くないが、何があっても負けないように、信念を持って弟子に教えを注ぎ込んでほしい」

 千賀ノ浦親方は現役時代の猛稽古で学んだことを、「初めはやらされてやっていた。でもそのうち、やらないと不安になって自分からやるようになる。そうすると番付も上がっていく」と話す。やや物足りなかった隆の勝が進んでやるようになって、聞いてみると「やらないと不安なんです」と答えたという。「うれしかったねえ」と目尻を下げた。

 もちろん、すぐ兄弟子のげんこつが飛んできた頃のようにはいかない。「土俵の中ではどつき合うけど、土俵を離れたらお互いに思いやりの気持ちを忘れないように、しっかり言っていきたい。そのへんは我々の時代と違うから」

 丸い顔に、責任の重さと年輪が浮かんだ。(時事ドットコム編集部)

最終更新:10/11(木) 20:07
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