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Aoi Mizuno「若い人にも聴いてもらいたい」クラシック界のイノベイターに迫る:インタビュー

10/11(木) 12:12配信

MusicVoice

 1994年生まれ、ミレニアル世代の指揮者としても活躍しクラシカルDJとしても活動するAoi Mizuno(水野蒼生)が9月5日、アルバム『MILLENNIALS -WE WILL CLASSIC YOU-』をリリースした。創立120周年を迎えた世界最古の音楽レーべルである独・グラモフォンの名録音を大胆ミックスし、今までにない新感覚のクラシック音楽を堪能できる世界初の一枚となった。クラシック界のロックスターになりたいと話す彼に、ありそうでなかったクラシックDJミックスの制作背景や、クラシカルDJを目指した経緯、“指揮者あるある”など、多岐にわたり話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

運命を感じたデビュー日

――今作はMizunoさんが敬愛するクイーンのフレディ・マーキュリーの誕生日と同じ日にリリースという運命的なデビュー日になりましたね。

 そうなんです。リリース日は狙ったわけではないんですけど、僕はクイーンの大ファンで、自分のアルバムを出すときは絶対このタイトル(We Will Classic You)と決めていました。まさかフレディの誕生日にデビュー出来るとは思っていなかったので、運命を感じました。

――今作の反応もすごく良いみたいですね。

 有り難いことにそうなんです。もっとバッシングされるかと思っていたんですけど、こんなに高評価ばかりを頂いて良いのかなと逆に今は思います(笑)。

――主題は『MILLENNIALS』ですが、これはMizunoさんの生まれた年代がミレニアル世代(1981年~1996年生まれの世代)ということで付けられたんですよね?

 そうです。まずクラシックを若い人に聴いてもらいたいという意思が昔からあって。ミレニアル世代の音楽家によるミレニアル世代のリスナーに向けたという意味でもあります。あと、最近カルチャー系の記事を読んでいても「ミレニアル世代の~」みたいな記事が多くて、自分は2年前ぐらいにその世代だということを自覚しました。

――世代へ向けてのというのは面白いですね。さて、Mizunoさんは幼い頃からピアノを始めたみたいなのですが、ご両親も音楽家か何かを?

 5歳からピアノを始めました。でも、音楽一家というわけでもなくて、いたって普通の家庭です。母親が趣味でピアノをやっていて、父親は音楽オタクといいますか、ヘヴィなリスナーでクラシック系のアーティストを招いたりする仕事をしていました。なので、小学生の頃からコンサートに行くことが多かった子供だったとは思います。

――そのなかでピアニストになりたいという思いも生まれて?

 まったくなかったです。生徒としても最悪だったと思うんです。まず楽譜は読めないし、ダダはこねるし宿題はやってこない、だけど言うことだけは大きくて「ベートーヴェンが弾きたい」とか偉そうに言っていた子供で(笑)。楽譜が読めないので、先生の弾いている音と手元をみてコピーして、1年掛けて発表会に出るみたい感じでした。音楽家になろうなんてその時は全く思っていなくて、聴いている音楽もJ-POPでした。その時は恐竜博士になりたかったんです。中学生になってたまたまヴァイオリンを頂く機会があって、それがきっかけで音楽の道にのめり込んでいきました。

――中学生からだとプロは厳しいみたいですね。

 そうなんです。でもヴァイオリンにハマってしまいまして。3週目のレッスンで「俺はヴァイオリニストで食っていく」みたいなことを先生に宣言したら、「今からじゃ遅いから諦めなさい」と即答されて。でもヴァイオリンは弾き続けました。その中でクラシック音楽というものがどんどん好きになっていきました。

――クラシックの魅力はどこにあると思いますか。

 そうですね…。僕はオーケストラ専門なのでクラシック全体で語るのは難しいんですけど、数百年間ヒットし続けているモンスターミュージックであって、壮大さもあり、ありとあらゆる感情や景色を音で表現できる、アンプラグドで言えば、最強の存在だと思っています。曲の背景があまりにも広いということも特色で、神話的なものから個人の恋愛的な感情、社会的、キリスト教、森羅万象、宇宙を描いたりと、ありとあらゆるものを表現してきた音楽というのは強みだなと思っています。たとえばロシアの作曲家、アレクサンドル・スクリャービンのように共感覚を追求し始める作曲家もいたりします。

――本当にありとあらゆるものを表現してますね。そして、指揮者になられるわけなんですが、なぜ指揮者になろうと思ったのでしょうか。

 ヴァイオリンが駄目だとなった時に、どうしようかと考えました。オーケストラが好きだったので、それに携われて今からなれるものというところです。でも、オーケストラのパーツにはなりたくなくて、目立ちたがり屋というのもあったんですけど、それなら指揮かなと。

――指揮は楽器のように始めた年齢などは特に関係ないんですね。

 ないですね。知り合った同業の方の中にはサラリーマンを辞めてゼロから指揮者の道へ踏み出して、現在バリバリ活躍されている方も結構います。ただ、音楽に人生を捧げるレベルで努力しないと難しいとは思います。指揮は努力で補える部分がかなりあると思っていて、その努力を支えるものは音楽への愛だと思います。もちろん環境とかもあるので一概には言えないんですけど、そこを抜きにしたら愛と情熱が重要です。

――そうなんですね、意外でした。音楽的に英才教育を受けた中でも一握りの方しかなれないイメージがあったので。

 指揮に関しては英才教育は関係ないですね。先程もお話しましたが、僕は中学まで楽譜も読めなくて、高校になってやっと読めるようになりましたから。

――指揮者“あるある”みたいなものはありますか。

 本番前に緊張していると指揮棒がすごく震えるんですけど、指揮科のみんなでコンサートをやるときは「大丈夫か?」と指揮棒を相手に持たせて震えを確認することがあります(笑)。あと、よくあるのは、みんなひたすら肩を駄目にしてしまうんです。

――確かにけっこう激しく肩を使っていますよね。

 肩を手術している人とかもいますから。片腕って重さが約10キログラムあるんですけど、両手を一緒に振り下ろすと首に20キロの負担が掛かってしまうんです。それもあって絶対に両手を振り下ろすような振りはやめた方が良いと、昔習っていた先生に教えてもらいました。僕も肩は気をつけなければと思っています。

――アスリートみたいですよね。その中で指揮者が技術的に求められるものは何ですか。

 とりあえずピアノです。ピアノは不真面目にやってきてしまったので、高校に入ってから苦労しました。現在も同じ大学の仲間に比べたら、僕のピアノはまだまだ下手くそな部類ですし…。
――確か、最初に受けたワイマール大学はピアノの初見での演奏で落ちてしまったと聞きました。

 あれは盲点でした。まさかそんな課題が出るとは思ってもいなかったので。リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」という後期ロマン派の曲が課題曲で転調が激しくて。

――すごく難しい曲なんですね。

 でも、今在籍しているザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学ではそれを初見で弾ける人がゴロゴロいるんです。

――それはまたレベルが高いですね…。ワイマールを落ちた後に、スイスのアルプス山脈に登られていますが、なぜスニーカーで登られてしまったのですか? それは自殺行為だとお聞きしましたが。

 山に連れて行ってくれた知人にスニーカーでも大丈夫だと言われて(笑)。その知人はチューリッヒのオペラハウスで打楽器奏者をやっている50代の方なんですけど、その人に受験で落ちた時に、飲みに連れて行ってもらったりしていました。その時は「勉強したいのに…」とか思っていたんですけど、今考えるとだいぶその人に癒やしてもらっていたなと思います。

 山を登らされている最中は「10日後に自分受験なのに、こんなところに連れてくるんだろう」と思ってました。いざ登ってみたら、吹っ切れた部分もあって。めちゃくちゃ乱暴なセラピーだったとは思うんですけど、あれだけ壮大なものを見せられたら、自分のちっぽけさを嫌でも感じますし、そこからは感情もないぐらいひたすら音楽に没頭出来ましたから。そこからすごく集中力があがって、モーツァルテウム音大に合格することが出来ました。

――「山では死ぬけど試験では死なない!」という名言まで出ましたからね。そして、クラシカルDJはいつ頃から始動されたんですか。

 ザルツブルクの大学に入学してからです。日本でも面白いことをしたいという想いはすごくあったので、休暇で帰国の度に何か面白いことを企画してみようと様々なことをやってきました。クラシックはコンサートホールから出られないものというイメージが強いけれど、そうではなく、一回そこから出してみようと思いました。コンサートホールからライブハウスへその空間を移したということだけをやりたかったんです。それは僕の中では自然なことで突飛なことをやってやろうという思いはなくて。

――クラシックのミックスはありそうで、なかったですよね。

 そうなんですよね。割と発想自体はシンプルなんですけど。おそらく、クラシック曲でDJをするにはまず楽曲をしっかり理解していないと出来ない、楽譜が読めてハーモニーを理解していないと難しいというのはあると思います。そのレベルで音楽をやっている人となると、クラシックの世界にどっぷり浸かっている人であり、あまり外の世界に目を向けていない人が多いからかも知れないですね。

――なるほど、Mizunoさんが如何に特殊な存在かが分かりますね。今作も聴かせていただいて、別の曲が繋がっているということを感じさせないのがすごいなと思いました。これ実は1曲なんじゃないかって。

 そう言ってもらえるのが一番嬉しいです。作業としてはすごく大変だったんですけど、作っているときは楽しかったです。

――その作業の中で一番大変だったところを上げるとしたらどこでしょうか。

 今回約40曲使わせて頂いたんですけど、録音された年代がそれぞれ違うんです。1970年代から2010年代まで幅広くて。曲の録音レベルであったり、音質レベルがあまりにも違う。演奏によってピッチが違い、修正など統一させるための細かい作業が大変でした。ボリュームのオートメーションもかなり書きましたし、1曲につき3トラックぐらい使ったりして調整しました。3曲しか使用してないのに20トラックぐらい使ったものもありましたね。

――制作手順としてはどこから始まるんですか。

 まず使用許諾を取らなければいけないので、使いたい曲のリストアップからです。最初は100曲くらいありました。そこから組み合わせたい曲の楽譜をひたすら読みました。ハーモニーなどみてから、曲の背景も合わせてあとはパズルみたいに「ここからここに飛べるな」とか考えて、組み合わせていきます。時間が掛かった作業は楽譜を読むところで、DAW(デジタルオーディオワークステーション=音楽制作ソフト)に落として実際にミックスする作業自体は1カ月ぐらいでした。今年の2月にこのお話を頂いて完成したのが8月だったんですけど、そのほとんどが“譜読み”ですから。

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最終更新:10/11(木) 12:12
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