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ドルじゃなくて円…師匠は絶句/新庄剛志氏8

10/11(木) 11:00配信

日刊スポーツ

想像を超えたプレー、パフォーマンスで球界のムードを一変させた新庄剛志。ここからは5回にわたって新庄をよく知る関係者の話から当時の舞台裏を探る。

【写真】整形前 サングラスをかけ、笑顔の新庄剛志氏

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新庄の師匠と言えるのは、阪神や日本ハムなどで打撃コーチを歴任した柏原純一(66)だ。阪神入団時の2軍打撃コーチ。野村克也が阪神で指揮を執った99年からは、1軍打撃コーチを務めた。「強烈に覚えているのは、野村さんの時の話で…」と話し始めた。

ある日のこと、試合前のフリー打撃で新庄の順番が近づいた。「おーい、バッティングだぞ!」と大声で呼んだ。センターを守っていた新庄は、ホームに向かって走り始める。そこにライナー性の打球が飛んだ。目の前でバウンドすると、新庄は足でトラップ。そのまま硬球をシュートのように蹴った。「パン、パーンとね。それは見事だった」。一連の動きに見入ってしまった。「普通だったら、怒るんだけどね」。戻ってきた新庄に、思わず聞いた。「お前、何してんの?」。あっけらかんと答えたという。「僕ね、野球が一番ヘタなんです。サッカーはうまいんですよ」。柏原は言葉を失った。

ただし、柏原の記憶にはいわゆる「宇宙人」のイメージは残っていない。「全く手のかからない選手だった」。それよりも、入団1年目から打撃センスにほれ込んだ。「アイツの打撃が好きだった。体に巻き付くようなバッティング。タイミングの取り方がうまかった。筋力がつけば、おもしろくなる」。豪快でおおらかな性格の柏原とも合った。2年目のキャンプが終わると、当時の2軍監督にこう進言した。「今年は打てなくても、2軍の試合は4番で使ってください」。経験を積ませたことがブレークにつながる。3年目の92年は「亀新フィーバー」でチームは2位に躍進する。

師弟のハイライトは、99年6月の「敬遠球サヨナラ事件」だろう。この裏には、2人の入念な打ち合わせがあった。巨人戦の数日前に新庄から相談を受けた時、柏原はクギを刺した。「一塁を無条件に譲ってくれるわけだから、勝手に打ったらアカンよ。打ちたかったら、打席を外して、ベンチを見ろ。僕が野村さんに聞くから」。さらにこう助言した。「三塁に走者がいれば、ベースにくっつく。三遊間が空くから、ゴロを転がせば、1点入る」。

柏原は敬遠打ちの師匠でもあった。81年7月の西武戦で、永射保の敬遠球を左中間に3ラン。「オレは勝手に打った。後を打つソレイタが永射を全く打てなかった。敬遠の球にカーブやフォークは投げない。バットが届けば、ヒットになる。でも、打てなかった時の言い訳は考えた。打とうと思ったのは、あの時だけ」。新庄は、ベンチのGOサインを待った。12回裏1死一、三塁。巨人槙原の敬遠球を打ち、助言通りに三遊間を破った。

やがて別れの時は来た。新庄はFA権を行使し、メジャーへ挑戦。00年オフに、米国に飛び立つ直前の新庄から電話がかかってきた。「ニューヨーク・メッツに行きます!」「ナンボで行くの?」「2000万です」「2000万ドルか…」「いえ、2000万円です」。ここでも柏原は絶句した。今、しみじみと振り返る。「アメリカに行ってよかったよ。苦労したし、ファンファーストを覚えてきた。一生懸命さもね」。(敬称略=つづく)【田口真一郎】

最終更新:10/11(木) 11:51
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